昔のホンダのF1参戦を少し振り返ってみよう。同社が初めてF1に参戦したのは、1964年。1965年に初勝利を飾ったけど、アメリカで量産車は売れなかったことと、ホンダ・ドライバーのジョー・シュレサー選手の死亡事故で1968年に撤退した。
1983年にF1に戻ると、「マクラーレン・ホンダ」という伝説的なネーミングで快挙を記録した。1986年から1991年までコンストラクターズ・タイトルを連勝したし、1987年から1991年までセナ選手やプロスト選手でドライバーズチャンピオンシップを続けて獲得した。1991年の最終戦の鈴鹿GPでは、チェッカー直前にベルガー選手を抜かせて優勝させても、セナ選手はドライバーズチャンピオンが獲得できた。
そのセナ選手と、レース直後にピット裏で握手した僕は、あの頃のホンダの凄さを忘れられない。ホンダはF1のヒーロー的な存在だった。当時は、誰もがホンダに対してプライドを持った。しかし、バブルの崩壊で1992年に再び撤退を決めた。
2000年にエンジン・サプライヤーとしてF1に復帰したホンダは、成果をあげられないまま、2008年のリーマンショックの影響で再び撤退した。そして、2015年にF1サーカスにカムバック。最初の3年はマクラーレンとは息が合わず、苦戦した。2018年にトロロッソに移行してから、結果が少し向上した。
2019年にレッドブルと組んだホンダは、いきなり息が合い、水を得た魚となって3勝を挙げた。2020年に入っても、ホンダのパワーユニットがトップチームのメルセデスと優勝まで戦えるほどの性能まで成長した。だからこそ、来年末の撤退はいかにも残念だ。
こうして何度もF1を撤退してきているけど、その理由はいつもはっきりしていた。しかし今回、「カーボンニュートラルを目指す」という理由は、どうも曖昧であやふやだ。だったら、バッテリーしか使用しないフォーミュラEに参戦しようよ。
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「このニュースはモータースポーツにとって、良くないと思います」と、2014年に始まったEVのレースシリーズ「フォーミュラE」のアレハンドロ・アガグCEOはいう。
「F1を撤退するということは、フォーミュラEにスイッチして参戦するということではありません。F1をやめるホンダは2度と、このトップレベルのモータースポーツに戻ってこないかもしれない。それはモータースポーツやファンにとって、非常に残念なニュースだと思います」