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議論が続く東京オリンピック・パラリンピック開催の是非。

1月7日に発令された2度目の緊急事態宣言の影響もあり、開催を危ぶむ声はますます強まっている。

開催か、中止か──。

どのような決断が下されるにしても、一つでも多くのものを遺すため、あえて開催の是非自体を直接的に問うのではなく、「開催ならば、どんな東京オリ・パラにするべきか」をともに考えることにした。

長年スポーツ、オリンピック・パラリンピックを見つめ論じ続けてきた、スポーツ文化評論家の玉木正之氏に訊いた。


フランスの貴族ピエール・ド・クーベルタン男爵(1863~1937)の提唱によって開始された近代オリンピック大会。それは、スポーツを通じて世界平和の実現を目指す素晴らしい大会だと言われている。

が、何事にも「理想と現実」のあいだには、大きな乖離が存在する。

1896年にオリンピック第1回アテネ大会が開催されて以来、平和の実現には一度も至らなかったことはもとより、第一次、第二次世界大戦による3度の中止(第6回ベルリン大会、第12回東京・ヘルシンキ大会、第13回ロンドン大会)もあった。そのうえヒトラーによるナチ国家の宣伝大会(第11回ベルリン大会)、テロ集団によるイスラエル選手団襲撃殺害事件(第20回ミュンヘン大会)、南アのアパルトヘイト(人種差別政策)に反対するアフリカ諸国のボイコット(第21回モントリオール大会)、社会主義国と資本主義国によるボイコット合戦(第22回モスクワ大会・第23回ロサンゼルス大会)、商業主義の導入(ロサンゼルス大会)によるそれ以降の大会の肥大化……等々、あらゆる大会で様々な問題が噴出し続けた。

その原因はどこにあるのか? それを考えると、一つの驚くべき事実の存在(あるいは不在)に気付く。

それは、オリンピックには戻るべき「原点」が存在しない、ということだ。

文=玉木正之 編集=宇藤智子

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