経営者の手腕で日本スポーツ界に寄与してきた半世紀|堤 義明(前編)

学生時代から「スポーツ」と「観光ビジネス」を融合させた発想で、日本のスポーツ観光産業の先導役を果たしてきた堤義明さん。日本体育協会(現・日本スポーツ協会)の理事や副会長などを歴任し、1989年に日本オリンピック委員会(JOC)が独立した際には初代会長を務め、1998年長野オリンピックの招致、大会成功に大きく貢献されました。

また、西武鉄道や国土計画にアイスホッケー部を創設し、オーナーを務めた西武ライオンズを名実ともにプロ野球を代表とする球団へと導きました。常に先見の明を持ち、豊かな発想で日本スポーツ界の発展に寄与されてきた堤さんにお話をうかがいました。

JOC独立のきっかけとなった"モスクワ五輪ボイコット"


──いよいよ今年は東京オリンピック・パラリンピックイヤーということで、これからさらに機運が高まっていくことが予想されます。東京で2度目のオリンピック・パラリンピックを開催することができるのも、日本におけるオリンピックのトップ組織であるJOC(日本オリンピック委員会)が、日本体育協会から独立したことが大きいと言えます。その初代会長を務められたのが、堤さんでした。

もともとJOCは日本体育協会(以下、日体協)内の特別委員会として発足したものでした。それが、1989年に日体協から独立をして「財団法人日本オリンピック委員会」(2011年より公益財団法人)となったわけですが、ことの発端は、1980年のモスクワオリンピックのボイコット(1979年12月にソビエト連邦〈現・ロシア〉のアフガニスタンへの軍事侵攻に抗議するため、当時ソ連と冷戦状態が続いていたアメリカがモスクワオリンピックへのボイコットを提唱。日本も全面不参加を決定し、日本選手団の派遣を中止した)にありました。アメリカのジミー・カーター大統領(当時)からの呼びかけに応じて、日本政府から日体協に「モスクワオリンピックには選手を派遣しないでほしい」という要請を受けたのです。当時、私は日体協の理事とJOCの委員を兼任していたのですが、JOC側としては納得がいかず、猛反発しました。それに対して説得をされたのが、当時日体協会長で参議院議長を務められていた河野謙三先生でした。

「あなた方がオリンピックに行きたいというお気持ちはよくわかります。しかし、官邸からこのような要請を受けたのだから」と。というのも、当時のJOCには自分たちで予算を賄う機能はまったくなく、すべて政府の補助金で賄われていました。言ってみれば、唯一のスポンサーである政府からの頼みを無下に断るわけにはいかないということだったんです。結局JOCも不参加することに同意するほかありませんでした。


モスクワオリンピック参加を涙で訴える高田裕司選手(1980年)

しかし、その後もJOCにはその時の出来事がずっとくすぶっていたわけです。そこへIOC(国際オリンピック委員会)から「いつまでも政府の外郭団体ではいけない。どこからも干渉されない独立した組織として法人化することがIOCとしては望ましい」という要望を受けたことをきっかけに、独立への機運が高まっていきました。
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聞き手=佐野慎輔 文=斉藤寿子 写真=フォート・キシモト 取材日=2020年1月31日

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