どんな形になってもDJは続けるものだと思っていた
よく取材で「いつからプロを目指してた?」みたいな質問をされるのですが、所謂「音楽で食ってくぞー!」みたいな“プロ”を目指したことはありません。なぜならお金を稼ぎたくてDJをはじめた訳ではなく、純粋に好きな音楽があって自然とDJにたどり着いたからです。遡ると中高時代はバンドをやったり、ラジオやインターネットを駆使して沢山音楽を聞いていて、その流れで音楽表現の1つであるDJというアウトプット方法に辿り着きました。
もちろん、やるからには今後もプロフェッショナルな技術や力量は身につけていくつもりですが、今もやっている理由は単純に好きというだけだなと思います。なので始めた当初からキャリアと関係なく趣味的にずっと続いていくものだ、と思っていました。
私が学生の時、私を含めDJをやっている大学生は沢山いましたが、就活でDJを卒業したり、就職して現場には遊びにいかなくなるというのが主流でした。「会社に入ったら3年好きなことはできない」という通説もよく聞きました。
一方で、学生時代には編集やライター、ネット番組の企画・制作など多岐に渡るインターンやバイトを経験しました。それらを経験した上で、有名無名関わらず好きなクリエイターに予算を付けて仕事が出来たらいいなと思い、広告代理店を目指していた時もありました。だから就活をしたのも、DJも続けたのも好きな音楽があるという、それだけのことです。
ちょうど卒業する時期に、自分のDJとしての活動が日本のクラブシーンに多少なりとも影響を与える規模になっていると自覚しました。続けていかないとどうにもならないが、続けていれば信頼の獲得や自分の役割など何かが見えてくるという感触もあり、この勢いを落とすことは出来ないと思いました。とはいえ、名前を出さずに音楽を取り巻くカルチャーと関わる仕事もしたかった。
そのタイミングで現在所属している会社、アソビシステムの代表である中川からマネジメントしたいという申し出を貰い、逆に所属兼社員という提案をしました。同級生を見回しても、当時は今みたいな働き方でやっている前例は多くなかったと思いますし、会社の中でカルチャーへの理解があった上で、風潮や式たりよりも新しいキャリアモデルを共に試みてくれるスタイルの会社だったからこそ、今があると思います。