官房長官と首相の芸風の違い

自由民主党の菅義偉新総裁と安倍晋三前総裁 / Getty Images


では、なぜ、危機管理に強かった菅氏が、自民党総裁選で何度も発言を訂正する事態に陥ったのか。霞が関官僚の1人は「官房長官の会見では、官僚が作ったつまらない応答要領を読むだけでよかった。だが、総裁選では、政治のリーダーとして魅力のある発言をしなければいけない。そこで官僚が助けてくれるわけではない。官房長官と総理の発言では、芸風に違いがあるのですよ」と語る。

菅氏は2014年に内閣人事局を立ち上げ、「政策に従わない官僚はやめてもらう」と公言してはばからない剛腕の持ち主だ。そのお陰で、官僚は菅氏を全力で支えてきた。しかし、政治家として魅力のある発言をしようと思えば、官僚が公では発言できないような発想が求められる。吉田茂首相が、米軍を番犬扱いにして唱えた「日本軽武装論」、池田勇人首相の「所得倍増論」、田中角栄首相の「日本列島改造計画論」などだ。

もしかすると、菅氏はこうした歴史に名を残した宰相たちに比肩する能力の持ち主なのかもしれないが、これまでの発言を聞く限り、まだその器の片鱗を見せたとは言えない。何より、菅氏には「名参謀」「官僚の名操縦者」という称号はあるものの、政治家として有権者を感動させるビジョンや構想をまだ示せずにいる。

官房長官という仕事は1日に2回、記者会見を行う仕事でもあるため、メディアの注目が集まりやすい。そのため、官房長官として名采配をふるった政治家に、「次は首相」という声がかかることがある。しかし、プロ野球で「名選手、名監督たらず」という言葉があるように、永田町でも「名官房長官、名宰相たらず」という言葉がしばしばあてはまる。

かつて、この真理を知り、宰相の座を辞退した官房長官経験者もいた。1989年にリクルート事件で竹下内閣が倒れたとき、自民党総裁候補に推された後藤田正晴氏も中曽根内閣で名官房長官と呼ばれた人だった。後藤田氏は当時、自身が警察官僚出身者であることや田中角栄元首相との関係などを挙げ、「自分は総大将にならない方がよい」と言って党総裁・総理への道を断った。

このとき、第2次大平内閣で官房長官を務めた伊東正義氏も、清廉な人柄を買われて総理・総裁候補に推された。だが、伊東氏は「本の表紙を変えても、中身を変えなくてはダメだ」と言って、やはり断った。伊東氏はこの政局の際、竹下氏に「あんたには気の毒だが、オレがやったら、伊東は竹下、金丸、安倍、中曽根、宮沢にかつがれた傀儡だと世間はいうだろう」と語ったともいう。

一方で永田町の住民なら誰もが知っている「総理にはなりたい時にはなれない。なれる時にならなければダメだ」という言葉もある。ある永田町住民はこう言う。「1日でも総理をやれば、その後はずっと元総理として生きていける。素晴らしいではないか」。

菅氏がこんな、永田町中心の発想の持ち主ではないことを祈りたい。

文=牧野愛博

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