人も街も成長させる! 「メルカリ流」鹿島アントラーズの育て方

左から小笠原満男、小泉文明、中田浩二。


小泉は1980年に山梨県で生まれ、甲府の中高一貫校に入学し早稲田大学商学部に進んだ。学生時代は勉強そっちのけで90年代の裏原ファッションやスニーカーブームに乗じ、インターネットを活用して転売。バイトの必要がないほど稼いだ。
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「新卒入社の証券会社で、株式上場のアドバイザーとして担当したのが創業直後のミクシィでした。後に同社の経営に携わりますが、若くして経営できたのは、ネット活用の経験や、大学時代にサークル代表として何百人もの学生を束ねていたことで、マネジメントの感覚が身についていたからです」

自らアドバイザーとして株式上場を実現させたミクシィ入社が07年。翌年、取締役執行役員に就任。

「投資銀行からベンチャー企業へと、20代はまったく休まなかった。本来ならその年頃が人生のインプットの時間なのに、ひたすらアウトプットをしていた。少しインプットする時間が欲しくなったのと、ミクシィを超えるような『インパクトある』サービスをもう一回つくりたいなと思い、12年に31歳で取締役を退任したんです」
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自分の人生は「行き当たりばったり」と小泉は言うが、手がける事業によって「少しでも世の中が良くなればいい」という思いは当時から変わらない。13年にメルカリに入社すると大手IT企業へと成長させ、17年には取締役社長兼COOに就任した。

そのころ、知人を介して出会った柴崎岳選手(当時鹿島アントラーズに所属)の誘いで久しぶりにカシマスタジアムへ足を向けた。それをきっかけにクラブとの関係を深め、スポンサーシップへと発展した。

「スポンサーになろうなんて気持ちは最初まるでなかったんですが、アントラーズはずっと大好きでしたし、柴崎選手の誘いで観た試合はとても新鮮だった」


「中学生のとき、初めてここで試合を見たときは、バックスタンド中央の前列に座っていました」と当時を振り返る小泉

アントラーズを愛する男が、さらにその愛を深めるための貴重な時間、それがスポンサーとして関係を結んでからの小泉である。

──メルカリが経営権を取得した真の目的とは? 続きは8月25日発売のForbes JAPAN「スポーツビジネス新時代」特集にてお読みいただけます。


こいずみ・ふみあき◎1980年生まれ。山梨県出身。早稲田大学商学部卒。大和証券SMBC(現大和証券)、ミクシィを経て2013年メルカリに参画。19年取締役President就任。同8月鹿島アントラーズ代表取締役社長就任。

おがさわら・みつお◎1979年生まれ。岩手県出身。98年鹿島アントラーズ加入。Jリーグ525試合、日本代表では55試合に出場。東北のサッカー復興のためボランティアを行う「東北人魂を持つJ選手の会」発起人のひとり。

なかた・こうじ◎1979年生まれ。滋賀県出身。帝京高校を経て98年鹿島アントラーズ入団。2005年からは仏オリンピック・マルセイユ、スイスのFCバーゼルと海外でプレーし、08年鹿島アントラーズ復帰。14年現役引退。

文=武田頼政 写真=佐々木康

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