(前回の記事:彼女は発達障害かもしれない 恋愛の危険な心理と7つの重なり)
その経緯を伝える前に、退職後の恩師5人が2013年2月に「支える会」を立ち上げ、手弁当で教え子のために続けた救援活動を振り返りたい。恩師たちが教え子の無実を信じて闘い続けたことは、他の冤罪事件にはない特筆すべき事柄と思う。
孤立無援だった両親 恩師たちが「支える会」を結成
恩師らは、それまで孤立無援の状態だった両親を助け、再審を求める署名集めに奔走した。彦根中の教職員全員と退職者の団体、彼女の同級生、さらには国民救援会にも支援を仰ぎ、全国から約3万人分の署名を集めて、裁判所に提出。7年の歳月を経て、西山さんとともに再審無罪の喜びを分かち合った。
冤罪を解く上で不可欠なものを真っ先に挙げるとすれば、それは、無実を信じてくれる人の存在だろう。無実なのに、信じてくれる人がいない「孤独」ほど耐えがたいことはない。
雪冤が果たされた数々の事例を見ると、家族以外に、無実を信じてくれる人の存在が大きく影響している。再審無罪へ、あきらめない気持ちを持ち続けることは、それほど難しい。無実を信じてくれる第三者の支えがないがために、もしかすると、声を出すことをあきらめている人が今もいるのではないか、とさえ思う。
西山さんは投獄された後、自暴自棄になり、何度も「再審をやめたい」と両親に訴えた。そんな彼女の支えになったのが、恩師から届いた励ましの手紙だった。出所後、支援の会でマイクを持たされるたび、西山さんは恩師たちの支えの大きさを語っている。
「中学時代の私は、職員室に行って先生に文句を言って暴れたり、授業中に教室を飛び出したり、迷惑ばかりかけていました。そんな悪い生徒だったのに、先生たちが支える会をつくって同級生たちにも声をかけてくれていることを知って、涙が出そうなほどうれしかった。どれほど感謝してもしきれません」
西山さんは中学校時代に教師たちを困らせたわけを私にこう話した。
「勉強が難しくなり、ついていけなくなったからだと思う。勉強ができた兄たちを知っている先生に『お兄ちゃんたちは良くできた』って言われて傷ついたこともあった。『教え方が悪いんや』って反発し、職員室で文句を言ったり、教室を飛び出したりした」