拙くて幼い。だが、獄中からの手紙はまぎれもない「真実の声」だった|#供述弱者を知る

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2016年9月末、中日新聞大津支局で角雄記記者(37)から初めて滋賀県の呼吸器事件を聞かされ、2時間に及ぶ打ち合わせを終えて、私はいったん名古屋に戻った。事件は突っ込みどころが満載だが、だからといって、すぐに記事になるかというと、それほど単純ではない。西山さんを取り調べた刑事が、同時期に別の冤罪事件に関わっていたことも把握していた。

前回の記事:「はい、逮捕」と冤罪に巻き込まれた男性。警察署長は会見でしらを切った

取調中に元看護助手の西山美香さん(40)が刑事に抱きついたこと、検事宛てに手紙を書かされたこと、警察の暴走とも思える初動捜査など数々の出来事はすでに裁判の中で明らかにされてきたことばかり。

それらを踏まえて、1審の大津地裁(2005年、長井秀典裁判長)が下した懲役12年の有罪判決は最高裁で確定し、その後の再審請求審も1次審は棄却、2次審も1審の大津地裁が棄却。計7回の裁判で有罪が認定されている状況で、あらためて蒸し返すには“何か”が必要だった。冤罪の可能性を示す強力な“何か”が。そうでなければ紙面化のハードルは越えられない。

獄中からの手紙メモに、思わず息をのんだ


打合せから2カ月後の11月30日、角記者からのメールが届いた。会社から帰宅した深夜、家でメールをチェックすると「西山事件メモ」という件名で受信フォルダーに入っていた。「材料をまとめたものを添付します」とあったので、添付のワードを開くと、頼んでおいた「手紙の抜粋」があった。表題には【手紙で気になった部分を抜粋、文字はすべて原文まま】。手紙を両親に送った日付と、文面が打ち出してあった。

「息をのむ」というのは、こういう感覚なのだろうか。記者の取材メモを読んで、中身の濃い内容に「これならいける」と思わず笑みがこぼれたり、わくわくした経験は何度もあるが、長いデスク経験の中でも体感したことがない感覚だった。大げさと思われるかもしれないが、固まって、血の気が引くような、動悸で鼓動が聞こえるような、そんな感じだった。メールで引用された手紙について、誤字脱字もそのまま紹介するので、読んでもらいたい。(※Aは自白を誘導した取調官の刑事、Tは死亡した患者で、実際の手紙では実名)

× × ×

平成17 (2005) 年
8月4日
「(死亡した)Tさんのことでこのままずるずるいくのがいやでアラームはなっていたと嘘をついたらどんどんうそになってわけのわからなくなってしまいました」「自分はTさんをぜったい殺ろしていないことをしゅちょう(主張)していくつもりです」

8月31日
「調書のサインをこばんだ時は、お父さん・お母さんは弁護士にだまされているって(刑事に)言われ、Aさん(=刑事)の方を信用して、お父さん・お母さんには辛い思いさしてしまってゴメンなさい」「私は9月30日(=1審の公判日)はTさんを殺ろしていないと主張していくので裁判官も分かってくれると信じてがんばって弁護士さんと協力していきたいと思います」「仕事とはいえ刑事というのは冷たいものですね、家族のありがたみがすごくわかりました」
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文=秦融

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