「北朝鮮の問題について、どう思う?」
実は、清水がそれまで避けてきたトピックだったのだ。
「朝鮮半島の話題はアイデンティティにも関係するからこそ、逆に自分自身から距離を置きたかったのかもしれません」と振り返る。今でこそ、韓国ドラマ「愛の不時着」やK-POPなど韓流ブームもあるが、「私の世代では在日コリアンに対する偏見は強かった。今でもネット上には差別的なコメントがありますが、昔の風当たりはもっとひどかった」という。
日本で根深くあった差別や、世の中の不条理に対する「憤り」は大きかったものの、その感情は自分の心の中にひた隠して生きていたのだった。今思えば「自分の人生がそこそこうまくいっていたし、出生についてもあえて言及しなければ不愉快な思いをせずに済むので、他人事の事勿れ主義だったのかもしれませんね」。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの代表と話をしたのは、ちょうどプロデューサーの仕事がひと段落した頃だった。そのとき、渡されたある強制収容所からの生存者の本を読み、筆舌に尽くしがたい人権蹂躙の現状にショックを受けると共に、急に過去の記憶らしいものが蘇ってきた。
清水自身が3歳ごろ祖父母に「悪いことをすると収容所に連れて行かれるよ」と叱られたようなことを思い出したのだ。実際にそう言われたか、祖父母のどちらに言われたか、いつ聞いたか、などは記憶が朧げで定かではない、だが「この奇妙な巡り合わせは絶対に無視してはいけない」と感じ、プロジェクトを立ち上げることにした。
初監督作品。予算もない。アニメ制作の経験もない
それからが大変だった。そもそもプロデューサー経験はあるものの、ディレクターはしたことがない。予算もない。ハングルも喋れない。アニメ制作の経験もない。あるのは「妙な責任感」だけで、槍を持って突っ込んでいくことにした。
まずは資金集めを始めた。企画書やサンプル映像を作って日本やアメリカ、韓国の個人や団体を回ったが、一筋縄ではいかない。危険な香りがする「北朝鮮」を題材にしていることから、興味を持つ人が出てはたち消えていった。そんなやりとりで2、3年を費やしたが、清水の作品化への思いはむしろ強まっていた。
「持ってるスキルやネットワーク、長所や短所、過去の体験全て総括すると、自分はこの映画を作るために生まれてきたのかもしれない。持っているお金を全て使ってでも成し遂げなくてはならない仕事だ」と自分なりに理由をこじつけた。
大きなスポンサーが見つからないまま、北朝鮮の暮らしや強制収容所のリサーチに入っていく。ストーリーの土台を作るために、韓国と日本、アメリカでインタビューした脱北者は35人ほど。うち、実際に強制収容所の囚人を経験したのは4人、元看守1人の証言をカメラにも収めた。(以下、メイキング映像)
リサーチの結果、強制収容所の存在自体が北朝鮮の体制を維持する「要」であることが分かってきた。家族三世代の連帯責任があり、一家全員が強制収容所へ収監されるリスクが北朝鮮で暮らす人々の脳裏にあるからこそ、反体制の声を上げられないのだ。