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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

令和元年の大晦日、恒例の紅白歌合戦において多くの観衆を驚かせたのは、AIとCGの最先端技術によって再現された美空ひばりの歌唱であろう。国民的スターでもあった往年の大歌手が「あれから」という新曲を披露したのだが、予想通りメディアには賛否の声が溢れ、特に「故人を冒涜するものだ」「死者の身勝手な利用だ」といった否定的な声も少なくなかった。

筆者は、これらの意見に共感を覚える者であるが、しかし、これからさらに発展していくAI技術は、こうした有名人でなくとも、ある人物の生前の写真や動画、音声、書簡や日記などの膨大なデータを読み込ませることによって、その人物の三次元での生き生きとした動画を創り出し、その個性的な表情や仕草、声色や喋り方まで再現するだろう。いや、さらには、書簡や日記から、その人物の思考や思想まで分析し、その人物らしいメッセージを語らせることも可能にしていくだろう。

では、こうしたAI技術が、もし、すでに他界した我々の肉親を目の前に蘇らせたとき、我々は、何を感じるだろうか。

おそらく、我々の多くは、そのとき、亡くなった肉親が復活して現れたような思いに包まれるのではないだろうか。

それは、決してAI技術の高度さによるものだけではない。我々の心が、それを求めているがゆえに、その思いに身を委ねていくからである。

筆者が子供の頃、恐山のイタコのように、死者の霊が憑依して言葉を語るという巫女の口寄せを見たことがある。ある親戚が、亡くなった祖父の言葉を聞きたいと巫女に降霊を頼んだのだが、その巫女は、突如、別人格が憑依したかのように言葉を語り始めた。その言葉を聞き、その親戚は、「ああ、お祖父さんの喋り方だ!」と驚き、涙を流しながら、その言葉に耳を傾けていた。

もとより、それが本当に死者の霊が憑依したものかは誰にも分からないのだが、この親戚のように、人間というものは、そこに切に求める心があれば、そのように信じ切ることができるのであろう。

そして、我々は、永年乗った車を手放すときに、「ああ、愛車が泣いている…」と語ったりするが、人間というものは、単なる道具や機械の中にさえ「人格」を感じることができるのである。

そうであるならば、AIが復活させた肉親を見て、その実体がAIであると分かっていながら、その肉親が実際に蘇ったような感覚に包まれる人は、決して少なくないだろう。

文=田坂広志

VOL.51

「蜘蛛の糸」のポストコロナ社会

VOL.53

言葉を語るとき問われるもの

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