最期のおうち時間──。食の選択で叶うハッピーエンドとは


実は私のこの思いは「ポジティヴヘルス」という概念そのもので、オランダ元家庭医のマフトルド・ヒューバー氏が提唱している。以前彼女が来日した際に行われた研修会では、総合在宅医療クリニック「かがやき」を営む市橋亮一医師と出会った。

「かがやき」は岐阜県にある訪問診療専門クリニックで、寝たきりや認知症で通院が困難、あるいは癌などの病気で家での生活を希望する患者さんを、46名のスタッフによって24時間365日往診体制でケアしている。

在宅医療は、「患者さんが病気を持ちながらも最期までやりたいことをやれるパワフルなツール」だと市橋医師はいう。中でも彼は、在宅医療における「食」は、非常に重要な要素だと訴えている。自らが執筆した在宅医療向けの本に「食を制する者は在宅を制する」と記しているほどだ。

食べられることが命を繋ぎ、その人らしく、より良く生きられる糧になる。一方で、食べる力には、嚥下(飲み込み)機能や口腔内の衛生、さらには家族との関係や心の状態も影響するため、医師と看護師の力だけでは不十分だと語る。在宅訪問管理栄養士、言語聴覚士、歯科衛生士、家族支援相談員や音楽療法士など、あらゆる専門家がひとつのチームになって、患者さんのQOLを支えるというのが「かがやき」のポリシーだ。

私が「かがやき」を訪ねたとき、チームに欠かせない存在として在宅訪問管理栄養士の安田和代さんを紹介してくれた。安田さんは食事のケアが必要な方のメニューを見直し、患者さんの自宅で調理することを通じて「食べることの大切さ」を伝える全国でも数少ない在宅医療専門の管理栄養士である。

安田さんのケアがユニークなのは「これはダメです、これを食べなさい」ではなく、あくまでも患者さんと家族のライフスタイルを崩さずに「これなら食べられるよ」と言ってあげるところだ。

介護食だからといって、食材や味付けが制限ばかりでは、患者さんは食べたいものが選べず、食欲すら湧かなくなる。難しい栄養価計算より、患者さんの「食べたい」「美味しい」と思える「心」を、安田さんは何よりも大切に扱う。

「あるとき、病気の進行で嚥下機能が低下して自力で水分が取れなくなった患者さんがいました。その方はビールが大好きだったんです。一般的には『もうビールは諦めましょう』となるのですが、ビールをゼリーにすれば、まだ味わえる選択肢はあります。療養中の患者さんにとって食事は大きな楽しみであり、その日の気分によって食べたいものを選べる自由は大切だと思います。

栄養は三食で補えればいい。在宅医療での食事では、その家の『普通』を理解し壊さないこと、患者さんの『これが食べたい』という意思を大切にすることが幸せにつながります。いつもよく行くスーパーがどこで、その人や家族が普段どんなものを買い、どんな食事をしているか。そうした日常を熟知した上で、患者さんが食べたい食事に近づけてあげることが私たち在宅訪問管理栄養士の腕の見せどころなのです」
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文=小竹貴子 構成=加藤紀子

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