最期のおうち時間──。食の選択で叶うハッピーエンドとは

コロナウイルスが猛威を振るい、世界中が行き場のない不安に駆られている。健康で過ごせることの有り難さと、紙一重で死と隣り合わせに生きている現実をひしひしと感じずにはいられない。

今は非常事態なのでやむをえないが、こうして日常生活に様々な制約がかけられると、病気ではないものの、なんとなく心身ともに自分が健康とは感じられない人も多くなってくるのではないだろうか。

そもそも健康とはどんな状態のことを指すのだろう。WHOの定義によると「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にある」(日本WHO協会訳)とある。

この定義の中にある、「すべて」(原文ではcomplete)という言葉がどこまで強調されたかはわからないが、医療技術の発展で信頼度が増し、私たちはいつのまにか健康診断の数値などの客観的指標に大きく依存するようになった。基準の枠からはみ出る場合には、食事をはじめとした「制限」という表現も医療の場で頻繁に使われるようになった。

もちろん過度な不摂生は慎むべきだが、人は歳を重ねていくうちにcompleteな状態からは遠ざかっていく。

それでも正常値を目指して管理された、お仕着せのプランに従うだけの生活が果たして本当に健康と言えるのか。私にはどうもしっくりこない。

私がそう感じるようになったのは、以前Forbesに掲載された在宅医療に関する記事がきっかけだった。「最期まで人生を主体的に生きるためのサポートをすることも医療の役割」という在宅医療専門医の佐々木淳医師の言葉に感銘を受けた。

「介護食ではなく、いつもの家庭料理にちょっと手を加えた家族ごはんです」


さらに同じ時期、口腔底がんの手術後にモノを噛む力を失った夫のため介護食作りに取り組んだ『希望のごはん』の著書である料理研究家のクリコさんと対談をする機会にも恵まれた。

クリコさんも「介護食」という言葉がしっくりこないと言い、「いつもの家庭料理に、ちょっと手を加えた夫・アキオのための「アキオごはん」です。介護食も家庭料理の一つ、家族ごはんですよね」とおっしゃっていた。

健康な状態とは、数値や他者によって決められるものではなく、自分の意思で、自分が在りたい姿に近づいていければいいのでは──。強くそう思うようになったのである。
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文=小竹貴子 構成=加藤紀子

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