コロナショックで潮流に変化 MMTが「ニューノーマル」に?
MMT提唱者ランダル・レイは自著で「政府の財政は家計や企業のそれとは全くの別物だ」と主張している。
「主権を有する政府が、自らの通貨について支払い不能となることはあり得ない。自らの通貨による支払い期限が到来したら、政府は常にすべての支払いを行うことができるのである」
なぜだろうか。彼によれば、主権を有する政府は、自分たちでお金が作ることができるのだから、この点において支出に制約はないということだ。同書の解説で経済学者の松尾匡が述べているように「通貨発行権のある政府にデフォルトリスクはまったくない。通貨が作れる以上、政府支出に財源の制約はない。インフレが悪化しすぎないようにすることだけが制約である」。
この議論に添うならば、財政収支を均衡させること自体には意味がない。言い換えれば、全体としてインフレが管理可能なところに抑えられているならば、赤字は問題とならないということだ。増税などの緊縮政策が必要となるのは、財政赤字を解消するためではなく、社会が好景気となりインフレを抑える必要がある場合に限られる。
そもそも財政赤字とは民間の資産増を意味しており、民間への資金供給のことだと言い換えることもできる。逆に、財政黒字とは民間の借り入れ超過を意味し、失業が存在する中ではむしろ経済に悪影響を与えるという見方もある。
英ヘッジファンド、ユリゾン・SLJキャピタルのスティーヴン・ジェン氏はブルームバーグの記事の中で、コロナショックによって潮流は変わりつつあるとし、次のように今後を予想する。
「巨額の財政赤字を中央銀行がすべて引き受けることが『ニューノーマル』になる可能性が高い。意図的であるかどうかにかかわらず、われわれはみなMMTにシフトしているのだ」
「財政赤字が膨らむと破綻のリスクが増す」という主張が「神話」であり、今回の新型コロナウイルスへの緊急経済対策がその証左であるとするならば、ポストコロナのわたしたちの経済にはどのような道が開かれているのであろうか。
後編では、コロナ禍においてMMTとともに語られることの多い経済政策「グリーンニューディール」に注目したい。