さて、マリーが初めて港の作業場に働きに出た日の描写から、彼女と彼女の家族が町の人々からどんな視線に晒されているのかが、徐々に見えてくる。
職場に入ってきた美しいマリーを盗み見る男たちの視線。教育係のフェリックスは一応親切に接してくれるものの、エスベルは何度も遠慮のないまなざしを投げかける。捌いたカレイの残りを廃棄プールに捨てようとしたマリーは、後ろからエスベルに突き落とされ、汚水でびしょ濡れの彼女に従業員たちはやんやの拍手をおくる。
新人への手荒い歓迎とも見えるが、これは突然参入した「若く美しい女」への強い興味と、その裏返しの抑圧された憎しみの現れだろう。自分たちとは異質の者を引きずり落とすことで、共同体は安心と安定を得る。同時に、秘密を抱えているらしいマリーの家族に対して距離をおきつつ監視しているような、狭い町の閉塞感も浮かび上がってくる。
こんな中で出会い、互いに好意を抱くダニエルが、他のむくつけき男たちとは違って少年の面影を残しているのは、彼がまだ男たちの共同体には完全に取り込まれていないことを示している。
だが、それゆえに彼は力を持たず、徐々にエスカレートしていくエスベルたちの嫌がらせから、マリーを守りきることができない。
「もの言わぬ女」になった母の秘密
定期的に家を訪問し、マリーの母に投薬と注射する医師。必ず自分が妻を風呂に入れ、娘には見せない父。大人たちの態度に疑惑の募るマリーはやがて、何枚かの写真からその「秘密」の一端を知る。
一連の描写から、マリーの母がかつて凄まじい暴力で人を傷つけたらしいこと、どこかに幽閉されていたこと、そして薬と注射によって「去勢」され、「もの言わぬ女」になったことなどが想像される。
女はこの社会で基本的に「若く美しい」ことを求められているが、「なにものも恐れない」態度は求められないことがまだ多い。そういう強い姿勢で思ったことを言い行動し、時に牙を剥く女は、男たちが作ってきた社会の秩序を乱す者として恐れられ、「魔女」と噂され集中攻撃の対象になったりもする。
それで多くの女は「もの言わぬ女」になる。だがマリーの母は違ったのだろう。マリーの父はそんな彼女を愛し、娘をもうけた。しかし閉鎖的な共同体の抑圧に抵抗する感情が高まって、ある時母は「獣」になった。
マリーは母の血を引いて「若く美しくなにものも恐れない女」となり、職場で因縁をつけてくるエスベルに、ふと暴力で反撃をするまでになる。その衝動は、彼女自身にはコントロールできない。