元榮:僕は創業から6年の2011年の夏、月間のサイト訪問者数も70万人くらいになっていたんです。ユーザーもそれなりに集まってくれていました。
そのとき、あるベンチャーキャピタルから話があって、「プレ(資金調達前の企業価値)で6億円」と言われたんですよ。それはきついだろうと思っていたら、デジタルガレージの石丸文彦さんが次の年の4月に、プレで14億円つけてくれて、これだということで、1億円調達してポスト15億円になったんです。
この時ですでに創業から7年経っている。重松さんはたったの7カ月で約半分の7億円。ぜんぜんスピードが違いますよね。スタートアップ企業の企業価値が早めに高く付けられることが、いまのスタートアップ界隈の盛り上がりを後押ししています。これはいいことだと思う。みんなが、僕と同じような苦労をする必要はありませんからね(笑)。
起業したのは「幸せな勘違い」から
元榮:重松さんは、大きな企業からキャリアをスタートされたんですよね。
重松:NTT東日本で法人営業企画や各種のプロモーションを担当してから、フォトクリエイトへと移りました。そこで上場を経験できたので、上場までのひと通りのストーリーを頭に入れることができたのは良い経験でした。
元榮:起業を決意したとき、周囲から止められたりはしませんでしたか?
重松:実は、僕の妻はベンチャーキャピタルの人間なんです。
元榮:なるほど、じゃあ「やれやれ系」だ(笑)。
重松:そうなんです。「こんなに良い時代なのに、なんで起業しないの?」って、むしろ背中を押してもらいました。教師の両親も「好きなことをやればいい」と言ってくれましたね。
元榮:それは素晴らしいですね。僕は反対されましたよ(笑)。両親にはもちろん感謝していますけれども、司法試験を受けると決めたときにも「太一郎、人間には向き不向きがある。あなたの学生時代の生活を見ていて、受かるとはとても思えない。大企業に行きなさい」って。「起業する」と話したときも、「またそんなことを言う」って反対されました。
ですが、僕の両親の良いところは、司法試験の模試で良い点を取って報告すると、途端に応援団になってくれたんですよね。「私は昔から司法試験を受けて欲しいと思っていたの」って(笑)。
起業したときにも、500万円しかなくて、すぐにお金が溶けてしまって社員もいない。神奈川県藤沢の片田舎に住んでいた母親に電話して「週に3回来てくれないか。悪いけれども自腹で」って手伝いを頼んで、そのまま9年間社員でいてくれました。
重松:すごいですね。なんだかんだ言いながらも全力で協力してくれる。
元榮:ありがたかったですね。でも、国政に出るときには反対しなかった。「もうよくわからないから、とにかく頑張れ」と(笑)。重松さんが起業を決意したきっかけは何ですか?