地ビールブームの終焉とともに窮地に陥った同社が、どうやって日本発のクラフトビールとして「COEDO」ビールを生み出し、未来の扉をこじ開けたのか。そのプロセスを知ることは、逆境に直面するすべての企業にとってビジネスのヒントとなるはずだ。
時代を超越した「協同」する相手
クラフトビールのCOEDO(コエド)は現在20カ国で流通し、海外のアワードで評価されて受賞経験もある。が、商品が素晴らしいからスモール・ジャイアンツのグランプリを受賞したわけではない。なぜ協同商事という社名なんですか?と、失礼ながら平凡に思えたので由来を聞いたとき、朝霧重治が教えてくれた45年の物語に未来へのまなざしがあった。それは彼の義父の話にさかのぼる──。
「お父さんがおすしを食べようと言っているんだけど」と、恋人から電話があったのは、朝霧が三菱重工に入社して間もない20代のころだった。
川越市内のすし屋に出かけてみると、彼女はいない。「お父さん」が一人で現れて、「まあ、飲め」とビールを差し出した。そして農業の話を始めたかと思うと、突拍子もないことを言い出した。
「大企業なんか辞めたほうがいい。大企業病になるぞ」。ずいぶん乱暴な言い方だが、こう畳みかけてきた。「な、早く辞めて、一緒にやろう」
予想もしないリクルートであった。朝霧は一瞬、“彼女と別れたら僕はどうなるんだろ”と思わなかったわけではないが、こう答えたという。「いいですね。じゃあ、やります」と。そして話を聞きながら、朝霧はこう思った。「これってアグリベンチャーなんだな」
1998年、朝霧は協同商事に入社した(当然、周囲は反対したが)。実は協同商事は画期的な会社であり、朝霧の義父となる朝霧幸嘉はのちにそのユニークな半生が『小さくても長続きする逆バリ商売のすすめ』という書籍になっている。