経済・社会

2020.02.21 12:20

この国の障害は #障害者という言葉 だ。ヘラルボニーが異例の意見広告に込めた痛烈なユーモア

ヘラルボニーの戦略法務小野田峻、代表松田崇弥、ストラテジックプランナー西野彩紀(左から順)


今回の安倍首相の「シュレッダー発言」について、弁護士である小野田はどのように捉えたのだろうか。
advertisement

「そもそも廃棄を担当したのが障害者雇用の職員であったことをわざわざ言う必要がないなかで、桜を見る会のリストが問題発覚から2週間以上たってから廃棄されたという、その時系列と併せて考えると、一国の総理の発言から、障害者という言葉がいわば『マジックワード』のように使われ、さもそれが言い訳として通用する社会であるかのような認識が浮き彫りになったと感じました」

松田から「意見広告」のアイディアを聞くと、小野田はすぐに後押しした。「今回の意見広告の構想を崇弥さんから初めて伺った時、私は大阪大学元総長の鷲田清一さんの『アートとは何かと考えた時に思うのは、その根底に違和感があること』という言葉を思い出しました。世界の中における日本という場所で、ヘラルボニーという旗に集う若きクリエイターたちが感じた『違和感』が、多彩な国民的な対話のきっかけになるのではないかと感じました」

ヘラルボニーは、福祉とクリエイティブやアートの領域を繋げる事業に特化して展開していることから、かねてから小野田はこのように評価していた。「ソーシャルとビジネスの文字通りの両立を事業活動を通して表現している。社会にどう向き合うかについて考え、責任ある行動をとっている企業としては、ソーシャルビジネスのプレイヤーの中でも群を抜いている」と。
advertisement

さらに「今回の意見広告に至るすべてのアクションは、ヘラルボニーらしさを次のフェーズに展開していくチャンスであり、同世代の社会起業家へのメッセージにもなるのではないか」と予測する。

ヘラルボニー・インタビュー
ヘラルボニーが拠点とする渋谷「100BANCH」にて取材撮影を行った

あなたは何を思い、どう感じる?


#障害者という言葉 ──。最初の問いに戻るが、このキャンペーンの背景や思いを辿ってみて、あなたは何を思い、どう感じるだろうか。

松田兄弟と同世代の1990年代生まれである筆者にとって、すぐに思い浮かんだのが、子どもの頃から身近になった「バリアフリー」という言葉だ。欧米で1960年代前半に生まれた考え方だが、日本では1980年代に身体障害者用施設の設備的なガイドラインが初めて策定され、90年代から法整備が進んできた分野だという。

そして1995年、「障害者白書」によって障壁(バリア)が4分類されたこともあってか、小学校の授業でも取り上げられた記憶がある。物理的な障壁、制度的な障壁、文化・情報面の障壁、そして意識上の障壁だ。4つ目の意識上の障壁とは、「無知と無関心による偏見と差別。同情やあわれみなどの障害者観」を意味する。ちょうど同時期に、乙武洋匡の著書『五体不満足』(1998年 / 講談社)が注目され、生き生きと活発な「障害者」の姿を知ることになる。さらに自分の中にある「心のバリア」に気づかされるのだ。

あれから20年。令和という新たな時代を迎え、「障害者」という言葉もこれから変化していくかもしれない。この言葉について一人ひとりが見つめ直す時期にきているのではないだろうか。自分の考えを発信することで、これからこの国がどんな社会を描いていくのか、大きなうねりになる可能性も秘めている。#障害者という言葉、あなたはどう思いますか。

ヘラルボニー意見広告「障害者という言葉」
ヘラルボニー意見広告から。「この国のいちばんの障害は『障害者』という言葉だ。」(ヘラルボニー提供、撮影:鈴木渉)

文=督あかり 写真=平山尚人

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事