カメラの登場で問題に
しかし、もともとプライバシーというものが意識されるようになったのは、近代以降の話だとされる。
原始社会では部族のメンバー全員が全員を良く知っていて、個人の秘密などほとんどなかったが、それがお互いの安全を保障することにもなっていた。そして中世になって王侯貴族のような一部の特権階級が一般庶民にはアクセスできない秘密を持ち、それを支配の道具に使うようになっていった。プライバシーは贅沢品だったのだ。
一方で、15世紀の活版印刷の発明による読書習慣や学問の発達によって、一人になって邪魔されずに思考を集中させる習慣が一般化していったとされるが、まだプライバシー自体が明確に意識されることはなかった。
ところがその後のフランス革命に代表される貴族社会の崩壊で、こうした特権は新興ブルジョワジーの踏襲するところとなり、産業革命のおかげで巨大化して人口密度の高まった都市部では、多くの縁もゆかりもない人々が大量に集まって住むようになり、お互いの生活に干渉しないようなルールが作られるようになった。
そして19世紀末に、コダック社が小型カメラを売り出し、一般人が街中で写真を撮れるようになったときに、プライバシー問題が初めて話題になった。それまで個人がある時間にある場所にいたことを正確に特定できる証拠はなかったが、写真は勝手に道を歩く人の姿を記録してしまい、プライバシー侵害を訴える人が出てきたのだ。
最近はSNSで簡単にさまざまな日常の写真を共有されるようになり、事態はそれを大幅に上回るスケールで変わっているが、現在の社会を19世紀の人々が見たら、全員が裸で歩いているようにさえ感じられるだろう。
メディア学者のマクルーハンは、出版という行為そのものが自らプライバシーを侵害するもので、いろいろなプライバシーこそがマスメディアのコンテンツであることを看破しているが、ネット時代は全世界のプライバシーがありとあらゆる形で交換され、それが経済活動や社会活動の基本になっていると考えたほうがいいだろう。
愛や家庭も消える?
プライバシーを侵害されることは誰もが望むことではないが、ネット以降の世代にはそもそもプライバシーという概念が欠如しているという指摘もある。
1980年代から90年代にインターネットが一般化した時代までに生まれたミレニアル世代に次ぐ、グーグル、ツイッター、モバイルとともに生まれたZ世代はいまや23億人に達するとされるが、戦後世代のベビー・ブーマーやその次のX世代をも大きく引き離す最大多数を占める。