ブライアントらを乗せたヘリコプターがカリフォルニア州カラバサスで墜落し、彼を含む9人が亡くなった。ブライアントは41歳だった。13歳の娘のジアーナも犠牲になった。
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ブライアントは、米プロバスケットボールNBAのロサンゼルス・レイカーズで1996年から2016年までプレーし、その間にあらゆるタイトルを総なめにした。NBA王者に5回輝き、NBAファイナルの最優秀選手(MVP)を2回受賞、08年にはシーズンMVPに選出された。オールスター選出は18回に上り、08年の北京、12年のロンドンとオリンピックでも2回、金メダルを獲得している。
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プロバスケットボール選手としてこれほど輝かしい経歴を誇りながら、彼は引退後、それに安住しようとはしなかった。過去の栄光にあぐらをかくのは、コービーの流儀ではないのだ。それどころか、コートの中で「ブラックマンバ」がダンクをたたき込むときと変わらない熱量で、彼はコート外でもさまざまな分野に次々と飛び込んでいった。
例えば、短編アニメーション映画『Dear Basketball(親愛なるバスケットボール)』の脚本とナレーションを務めた。作品は第90回アカデミー賞で短編アニメ賞を受賞し、ブライアントはNBA選手として史上初のオスカー受賞者となった。
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設立は選手時代の09年にさかのぼるが、米国と中国の子ども向けの教育やスポーツ、文化事業を支援する財団「コービー・ブライアント中国基金」も運営した。その4年後には、投資家のジェフ・スティベルとベンチャーキャピタル企業、ブライアント・スティベルを設立。同社はこれまでに、メディアやデータ、ゲーム、テクノロジー関連の企業に投資してきた。「引退」とはほど遠い活躍ぶりだ。
そして、筆者も関わっているコンソーシアム「プロジェクト・プレー2020(Project Play 2020)」での活動がある。プロジェクト・プレーは、米国の青少年の運動不足問題に取り組み、それを克服することを目指す団体で、主要なスポーツリーグ、スポーツ関連の組織や団体、保健機関などが参加している(主催はアスペン研究所)。ブライアントはその広報役を引き受けてくれた。