レストランやタクシーは比較的わかりやすいが、庭師、引越し業者、害虫駆除、自動車整備などは、アメリカ人でもチップの「%」はそれぞれだし、払わないことを常識だと思い込んでいる人も少なくない。
かつて、筆者の車がアリゾナで故障し、修理を受けている間に、車でホテルまで送ってもらってチップを渡したら、運転手がわざわざ礼状まで書いてきたことがあった。かなり珍しいことなのだが、ラスベガスではチップは渡すのは常識なのだ。
かつて、このコラムでも、飛行機の機内でチップをとり始めて乗務員の中で賛否が別れた航空会社のことを紹介したし、ニューヨークのカリスマレストラン経営者、ダニー・マイヤーがチップを受け取らないレストランを展開して業界で賞賛を浴びたものの、続く事業者がいない実態も書いた。
さらに、ウーバーは、「チップがいらない」というわかりやすさがスマホ世代に親和して浸透したものの、同業者のリフトが始めたことで、やむを得ず「チップをどうします?」という金額選択画面を入れるようになった。
つまり、チップの授受の面倒くささを皆が了解していながらも、給料の一部になってしまっている実態をどうにもできなくなっている。ヨーロッパもチップを受け取る習慣はあるが、ドイツもフランスもつり銭を残す程度のことで、アメリカのように2割もチップを載せるような習慣はない。
そして、チップ文化はどんどん変化してきている。しかもその変化は、どちらかといえば「より厚盛へ」と変わっているので、20年前のガイドブックなどを読んでいると大失敗をする。
チップ「0」は文化に対する宣戦布告
これだけ面倒くさいチップ文化に対して、日本的視点から筆者が主張したいのは次のようなことだ。
1つ目は、チップの相場はこれこれこのくらいだと書いているガイドブックがあっても、それはほんの目安であって、すべてはケースバイケースだし、土地によってずいぶん変わるということを覚えておいたほうがいいということ。
2つ目は、上下の両極端を避けるだけでも、ずいぶんチップ文化になじみやすくなるということ。つまり、たとえどんなにサービスが悪くて、喧嘩寸前という扱いを受けたとしても、チップが「0」というのは文化に対する宣戦布告であり、常識外れというかむしろ非人道的とみなされるので、0は絶対に避けた方がよい。
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