キャリア・教育

2019.11.10 11:30

東京大学の出身者は、なぜ卒業後に実社会で伸び悩むのか

東京大学 / Getty Images


今年6月30日、私は神戸市の灘中学・高校(灘校)で開催された「製薬マネー」をテーマとしたシンポジウムに事務スタッフとして彼を連れて行った。灘校は私の母校で、岩松君にとっては初めての神戸訪問だった。
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シンポジウムは盛り上がった。その日は、製薬企業から著名な医師に世間の常識を逸脱したカネが渡っていることが紹介された。ただ、議論の内容については、岩松君はすでに知っていたので、驚かなかったようだ。

彼がびっくりしたのは、質疑応答の最後での老人の発言だった。「医師へのリベートは企業の過当競争の結果だ。うちも同じような状況だったが、発想を転換したら上手くいった」と語ったのだ。

発言の主は嘉納毅人氏。灘校を経営する菊正宗の前社長で、学校法人灘育英会の理事長を務める。
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嘉納氏は菊正宗の営業で、小売店主を接待するのではなく、数万円のお金をとって蔵元の見学ツアーを企画した。幹部たちが反対する中、オーナー社長の権限で断行したところ、「たいへん好評だった」という。

嘉納氏は小売店主の視点に立ち、接待で顧客の時間を無駄遣いさせるより、彼らの知的好奇心を満足させることを目指した。ある意味で徹底した顧客重視だ。嘉納氏の試みは、医師と製薬企業の関係を考えるうえで示唆に富むやり方だ。

嘉納家は、神戸市御影から出た造り酒屋だ。創業は1659年(万治2年)。講道館の創設者である嘉納治五郎は一族で、同じく造り酒屋の白鶴は分家だ。嘉納氏の発想は、このような一族の歴史抜きには考えられない。

岩松君の生い立ちとは対照的だ。キャリア官僚の父を持ち、名門の巣鴨高校から国立の浜松医科大学に進んだ。

巣鴨高校は、前橋藩士族遠藤千次郎の長男として産まれた遠藤隆吉が1922年(大正11年)に創立した旧制巣鴨中学を前身とする。ウィキペディアには「『硬教育』による品性の陶冶、学問労働の一致、長幼の序を以て校是とする」とある。これは武士の文化で、菊正宗や灘校の商人の文化とは異なる。

余談だが、灘校の卒業生は、政界や官界ではあまり「出世」しない。東大医学部でも状況は変わらない。灘校出身の東京大学医学部卒業生は443人いるが、メジャーな診療科の教授になったのは、わずかに2人だ。「東京大学医学部で出世しない灘校生」は業界では有名だ。

その代わり在野で活躍する医師が多い。私は、これは嘉納一族の文化を反映していると考えている。

話を戻そう。岩松君は翌日も残って神戸を観光した。私は司馬遼太郎の「街道をゆく <21> 神戸・横浜散歩ほか」と城山三郎の「鼠―鈴木商店焼討ち事件」を読むようにと課題として与えた。神戸という街の生い立ちを知るのに最適な著作だからだ。

彼は神戸を「体験」し、その歴史を学んだ。

岩松君にとって、今回の神戸訪問はかなり刺激になったようだ。さらに夏休みには広島市内で遠隔画像診断サービスを提供している「エムネス」社でもインターンを行った。東京や神戸とは違う雰囲気を体験した。彼は積極的になった。将来は世界各地で診療したいという。

この夏、岩松君は変わった。「異文化」と触れ、成長した。若者は東京にずっといてはいけない。成長を求め、「旅」をすべきだ。

文、写真=上 昌広

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