話を医学に戻そう。この傾向はトップ研究者に限った話ではない。臨床研究のレベルも高くない。少し古くなるが、我々のチームが大学病院の臨床研究のアクティビティを比較した結果をご紹介しよう。
表1は2009年1月から2012年1月までの間に、大学病院に所属する医師100人当たりが発表した臨床論文の数を示している。この調査は、当時、東京大学医学部5年生であった伊藤祐樹君が行った。
表1
米国立医学図書館のデータベースを用いて、「Core Clinical Journal(医学分野で重要性の高い雑誌)」に掲載された論文数を調べた。上位陣には京都大学、名古屋大学、大阪大学など「地方」の大学が名を連ねる。東京大学の順位は5位だ。京都大学の70%、名古屋大学の83%程度だ。
なぜ、こんなことになるのか。それは東京が人材育成の点で弱点を抱えているからだ。
近年、東京大学医学部では白血病治療薬の臨床研究不正、基礎研究改ざん疑惑、心臓カテーテル医療事故などの不祥事が続くが、責任者の教授は東京の名門校から東大医学部へと進み、卒業後のほとんどの時間を本郷キャンパスで過ごしている。
これは、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏、利根川進氏、大村智氏などのキャリアとは対照的だ。彼らは「地方」都市で生まれ、「生き延びる」ために世界各地を回った。試行錯誤を通じてノウハウを身につけ、ネットワークを構築した。私は、異文化との交流を通じ、自らを客観視し、強みを伸ばしていったのだと考えている。
異文化と交流しないことは、臨床医にとっては大きなハンディキャップとなる。それは医師が全人的医療を行うには相手のことを知らねばならないからだ。患者は自分とは異なる価値観を持つ。それは生い立ち、家庭環境、職業に影響される。
関東圏の裕福な家庭に育ち、地元の名門校から東京の名門大学の医学部に進み、ずっと同質な環境で成長すれば、それがすべてと思い込む。これでは、患者の立場に立って考えることなど、期待すべくもない。
商人の文化が息づく灘高の出身者
では、このような医学部の学生はどうすれば、いいのだろう。私は「異質な存在」に触れることだと思っている。それには「旅」がうってつけだ。若者が成長するのに必要なのは「旅」というのは、古今東西、変わらない真理だ。
私もこの件に関しては、実は試行錯誤を繰り返している。4月から私の所属する研究所でインターンを続けていた岩松遼君のケースを紹介したい。浜松医科大学の1年生だ。
大学は浜松なのに、なぜ、彼は東京の研究所にいたのだろうか。それは彼が留年したからだ。今年は2回目の1年生で、講義は9月までなかったのだ。そのため、旧知の岩松君の父親から「鍛えてやって欲しい」と頼まれ、研究所で預かった。
岩松くんの父親は、テレビでも見かける岩松潤氏だ。経済産業省の貿易管理課長として、日韓の半導体輸出規制問題を担当している。私が学生時代に在籍した東京大学運動会剣道部の1年先輩である。神奈川県厚木高校から東京大学工学部へと進んだ。
私が岩松遼君に言ったのは、医療に固執せず、いろいろな経験をすること、多くの人と付き合うこと、さまざまな分野の本を読むことの3つだった。そして、国内外のいろんなところに出かけるようにも勧めた。
医師のキャリアパスを考えれば、時間が割けるのは医学部の低学年しかない。医師国家試験を控えた上級生、病棟業務に忙殺される初期・後期研修医時代は誰もが「専門バカ」にならざるを得ないので、余裕がない。