熱い心と冷たい頭。緒方貞子さんが教えてくれたこと


あれから数年、もがいてきた。緒方さんも聞いてくれた「難民ホームステイ」のプログラムは一旦閉じた。ホストファミリーを引き受けてくれた方々は今も活動を応援してくれている。難民の人からもたくさんの声が届いたけれど、結局、ホームステイをしたあと、彼らには行く場所がなかったのだ。自立の道がなかった。また東京で一人で過ごすのかと。私たちは「出口」を作れていなかった。

そうなると、シェルターが大事な気がした。今日寝るところもないのに、今後の人生のことなんて考えられない。本来は、国を逃れてきた人たちに、認定されるまでのひたすら待つ時間に安全な場所を提供するのは政府の難民キャンプや、シェルターだが、それがない。

NGOの現場が火の車になりながら、やっとアパートを提供できているのも全部で30部屋くらいしかなく、ネットカフェ代を渡してどうにか生き延びてもらっていることも知った。頑張るNGOにとっても、NGOが提供しているから、政府がやらなくていいという言い訳になってはいけないだろうというもどかしさはあった。

UNHCRの駐日事務所がどんな活動をしているかも知った。日本は海外の難民キャンプに多額の支援をしているから、日本政府としての難民の政策にコメントしづらい立場であることも痛いほど理解した。組織の中で奮闘し、最善を模索するスタッフさんたちの声も聞いた。

難民の学生に奨学金を提供するプログラムもある。大学が連携し若者に学びの場を提供することは、日本や祖国の未来だ。でも残念なことに、日本政府に難民として認定された人しか応募ができなかった。例えば2018年は認定された38人しか応募が叶わないということになる。大学3年までを母国で過ごし、日本に逃れてきた青年は、まだ認定を待っていた。応募資格に当てはまらなかった。

そして、そんなことを考えている間にも、収容されてゆく人たちがいる。いま、全国の入国管理センターの中の収容施設に1000人以上が収容されている。こないだまで一緒に話をしていた人が、ガラス越しでしか会えなくなる。30分だけの面会は辛い。なぜ自分が収容されているかわからない無期限収容はきつい。長期収容に抗議するハンガーストライキが起こって、中で命を落とした人もいる。

正しさとははなんなのか、国家の安全保障とはなんなのか、人間の安全保障とはなんなのか。正直、この課題は政治的すぎて、イデオロギーが絡みすぎて、既存の団体の壁も想像以上に分厚くて、変わらない現状に支援団体も疲弊していて、わたしたちも混乱した。

法務省は、偽装難民が増加しているという理由で、2018年に「難民認定制度の適正化のための更なる運用の見直し」をかけた。難民ではないのに、偽装で難民申請する人、それをさせる仲介業者が増えると、真の難民の審査の時間がさらに長くなる。その通りだ。

しかしそれによって、難民認定申請をするための書類の受理さえしてもらえない人も出てきた。待っている間に得る在留資格も、以前より頻繁に更新しなくてはいけないものになった。住民票の登録ができるのもかなり後になった。収容されている人は、以前に比べると外に出られなくなった。

いま、日本にいるほとんどは「難民」にもなれない「難民申請者」だ。つまり、日本政府が難民として認定する前の人たちである。こないだ会ったスリランカの男性は、難民認定までに12年かかったそうだ。ある青年は3年半、一度も審査のインタビューにも呼ばれていない。

国境管理をする政府の立場としたら、難民ではないかもしれない人、保障できない人が国に入ってくることを脅威に感じるだろう。しかし他に手段がない、迫害を逃れてやってくる人たちが成田空港に今日も辿り着いているのもまた事実だ。現実解はどこにあるんだ?

私の判断の拠り所となったものは、ただひとつ、彼らを「救わなければならない」ということであった。この基本原則(プリンシプル)を守るために、私は行動規範(ルール)を変えることにした。(緒方貞子『私の仕事』草思社、2002年)

あれからも緒方さんに会いたいとは、もちろんずっと思ってた。でも、私の中では彼女は大きな存在すぎた。明確な答えを持たない、まだなにも成し遂げていないわたしが会ってもいいのか、勝手に考え悩み、今はまだ会えないと思ってしまった。

政府が捉える脅威を乗り越えられるようないい提案も見出せてないし、日本という主権国家を目の前にして国連がどうするべきなのかもわからない。いまじゃない、と。

2019年8月、全く別の機会に偶然、緒方さんの息子さんにお会いした。そのときも、自分が日本にきた難民の活動をしていると、喉まで出かかって言い出せなかった。彼女が入院していることも知ったのに、会いに行きたいと伝えられなかった。「人生でなんども励まされ背中を押されました。会えて嬉しいです」とだけ言えれば十分だったはずなのに。
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文=渡部 カンコロンゴ 清花

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