「人前が苦手」なHIKAKINがトップユーチューバーになれた理由

ユーチューバー HIKAKIN

日本における動画投稿の可能性を「先頭走者」として切り拓いてきたトップユーチューバーHIKAKIN。彼が紹介した商品やグッズは飛ぶように売れ、経済を動かす影響力をもつ。

Forbes JAPANでは、9月25日発売の本誌で、「WHO IS THE TRUE INFLUENCER?」(真のインフルエンサーとは何だ?)と銘打ち、トップインフルエンサー50人を選出。彼ら、彼女らの言葉やアドバイザリーボードたちの論考から、インフルエンサーなる現象を多角的に描いた。



今回この「TOP INFLUENCERS 50」に選出されたHIKAKIN。名実ともに動画界のスターになった彼は、どのようにその影響力を爆発させたのか──。


1989年、新潟に生まれたどこにでもいる青年の転機は、2010年6月にやってきた。ユーチューブにアップした一本の動画『Super Mario Beatbox』がアメリカでブレイクし、世界からアクセスが殺到。何者でもなかった彼の人生が、一夜にして変わった瞬間だった。

HIKAKIN、30歳。日本の若者で彼を知らない人はまずいないユーチューバーである。

「僕は……まず何よりも運が良かったと思っています」と彼は言った。成功の理由を聞いたときの回答である。
 
六本木ヒルズの一室に有名ユーチューバーが数多く所属する企業「UUUM(ウーム)」がある。東証マザーズに上場した企業として、その所属クリエイターにも注目が集まる。HIKAKINはその中でも別格の存在で、文字通りの看板として、その一挙手一投足に視線が注がれる存在だ。
 
そんなポジションにいるにもかかわらず、威勢のいい成功体験ではなく、まずもって「運」を挙げるところにHIKAKINという人間の「らしさ」が滲みでているように感じられた。

「小学校でヒューマンビートボックスに出会って、大好きになりました。高校を卒業したあとは都内のスーパーに就職して、会社の寮に住み込みで働きながら、ビートボックスの動画を上げたんです。ちょうどビートボックスの流行とタイミングが重なっていた時期だった。僕はパーティが苦手で、クラブで有名になるのは難しいと思っていたので、それなら動画一本でいこうと決めました」
 
先に挙げた動画のヒットから約2年後に、彼は会社を辞めている。きっかけはユーチューブで上げた収入が、継続的に会社員の月収を超えていたことにあった。

ユーチューバーの収益モデルの大きな柱は、動画再生回数に応じて得る広告収入だ。もちろん、安定収入ではない。今月は良くても、企画が当たらなければ次の月は激減するというリスクはある。周囲にも日本のインターネット界にもモデルになるような人は誰もいなかった。彼はたったひとりで、大好きなユーチューブとビートボックスをやるために退路を断った。
 
この先も動画だけで食べていけるという確証はまったくなかったが、彼はこう考えた。

いままで動画制作に当てる時間は、勤務が終わった夜か、休日だけだった。1カ月間、朝から晩までフルに制作に時間を使えたらこれ以上落ちることはないだろう、と。

根拠らしい根拠はない漠然とした自信ではあったが、決断は当たった。

彼が独立してから、ユーチューブがスマホに対応。これまで以上に世界中とつながりやすくなった。

「ちょっと前までアマチュアだった僕が、1年後(13年5月)にはシンガポールでエアロスミスと共演することができました。もうすごい経験をしたなぁって思います」
 
エアロスミスは言わずと知れたロック界のレジェンドバンド。ユーチューバーになったことで、HIKAKINは世界のロックスターと同じステージに立てるまでになったのだ。ところが本人は、誰々と共演して嬉しいという思いもさることながら、「動画を撮っているときが一番楽しい」のは変わらないのだという。


スーパーマリオのゲーム音楽をビートボックスで表現した『Super Mario Beatbox』(2010年)の動画が世界中で話題に。アクセスが殺到した。

思い返せば、小学校のころから人前で何かを話すことは大の苦手で、ずっと避けてきた。ひとりで企画から撮影、編集まで何でもできるメディアが、彼にとっては最大の救いになった。

「人前が苦手な自分が、唯一輝けたのが動画投稿の世界でした。最近はありがたいことにテレビの仕事もいただいていますが、芸人の皆さんのテンションに僕が混ざると、雰囲気的にちょっと浮いちゃうんです。でも、そこで無理しようとも思わない。僕の動画を見たことない人に見てほしいなと思って出ています」
 
メディアの違いは外から見ているよりも大きいものらしい。

「逆にテレビの方もユーチューブにきたら、最初は違和感を感じるんじゃないかと思います。空気が全然違うので」
 
彼の活躍でユーチューバーという職業は広く認知され、HIKAKINになりたいという憧れの対象にもなった。この間、彼の心象風景はこんな風に描ける。あるとき、誰も走っていない大きな道があることに気がつき、一歩を踏み出して、走り続けてきた。最初は誰もいない道だったが、振り向いてみたら、後ろに大きな一群が走っている─。彼が走り出した道は、どんどんと広がっている。

先頭走者はインフルエンサーをどう定義するのか。

「身近さのある新時代のスターですよね。僕に限らず、インフルエンサーは身近さがいままでにない強みになったと思うんです。僕たちは家で、コンビニで買ったものを食べて、感想を言う。テレビでスターと呼ばれる人は、プライベートを映さないですよね。テレビではできなかったことを、僕たちはやってきたと思っています」

身近さ。これが彼の影響力を表す最大のキーワードだろう。
 
ユーチューバーたちの動画を見て、「何が面白いのかわからない」と感想を漏らす人も上の世代を中心に少なくない。が、ユーチューバーとフォロワーの関係は、かつての深夜ラジオにおけるDJとリスナーの関係に近いものだと考えてみてはどうだろう。
 
マスメディアでありながら、「自分だけ」に語りかけられているような感覚。ハガキを送り、番組内でコメントが返されるという双方向のコミュニケーションが成り立つことで、リスナーには自分も番組づくりにかかわっているという意識が芽生える。送り手との絆は強固なものになるはずだ。
 
しかも、ユーチューブを楽しむスマホは、極めてパーソナルなツールだ。いつでも手の中にあり、その距離の近さはラジオやテレビの比ではない。1対1という密な距離感で、毎日会える「身近なスター」。それこそが、ユーチューバーなのだ。

HIKAKINは、こうした自身の武器を自覚し、フォロワーとの距離を圧倒的に縮めたことによって、その影響力を爆発させたと言える。
 
そんな彼の何よりのモチベーションとなっているのは、自分が本気になっているものをフォロワーが喜び、笑い、楽しむこと。「フォロワーは、僕に興味を持ってチャンネルに行き着いてくれた“大切な存在”です。飲食店と同じですよ。これだけコンテンツがあるなかで、わざわざ足を運んでくれるなら『まずいな、この店』って言われても、僕はありがとうございますって言います」


 
HIKAKINは自分の一言が、思わぬ影響をもたらすことも自覚している。動画内で彼が勧めたものは、翌日店頭から姿を消し、工場が生産に追われるほど、消費を大きく動かすインパクトを持つ。

「商品レビューでは、『まずい』と言わないと決めています。まずいと思ってしまったなら、たとえ動画を撮り終えていてもボツにしますね。本当に自分がおいしいと感じられたものこそ、みんなに伝えるべきだと考えているので。結果としてそのほうがみんなハッピーになれると思います」

影響力の大きさは反響の大きさと比例し、さらにネガティブなコメントの量とも比例する。

「僕が始めたころには信じられないことですけど、ユーチューバーのもとには一企業が受けるくらいのコメントが毎日来ます。ダメ出しも指摘も批判もやってくる。とても一個人で受けるような量だと思えないんですよね。いまのインフルエンサーはみんなタフですよ」

道なきところに道をつくる


HIKAKINは今年30歳になった。以前から、「前ほど物事に感動できなくなっている」と話していた。それは想像できなくもない。彼の20代はまさに激動だった。一介のスーパーの店員が、ビートボックス動画で世界的な注目を集め、有名人と共演を果たし、やがて日本のトップランナーになっていく。六畳一間、木造の会社の寮でつくっていた動画は、高級タワーマンション高層階の自室でつくるようになった。
 
すでに憧れられる存在になったHIKAKINには、小学生やもっと低年齢のファンもいる。ファンから「将来、HIKAKINになりたい」と言われたらどんなアドバイスをするかと聞いてみた。

「“継続”することですね。まだまだインターネットの世界は発達すると思うから、大事なのは続けること。いきなりブレイクして出てきたなぁってユーチューバーほど、実は1年前からコツコツやっているみたいな人が多いんです。ブレイクする人は継続しているんですよ。いまからじゃ遅いよって人は間違っています。いまから始めればいいんです」

その答えにはまったくブレがない。彼自身が誰よりもユーチューブを愛し、その可能性が見えている。
 
HIKAKINが達成してきたことは、時流に乗ったとか、自身が言うように運もあったのだろうが、だからといってそう簡単にできることではない。

「正直、もういろんなことを成し遂げた感はあります。あまりに濃い20代だったから。僕は今年でユーチューバーを仕事にしてから8年。次は何だろうなって思いはあります。でも、そればかりは誰にもわからないですよね」


HIKAKINの飼い猫・まるおともふこ(動画より)

30代のHIKAKIN像はまだまだ模索中なのだという。テレビ業界なら、出演者から司会者になるといった、明確なステップアップの道がある。だが、業界の歴史が浅いユーチューバーの世界には道がない。彼からすれば、自分が歩いていくところがそのまま道になっていくという自覚もあるだろう。こういう考えを率直に語ってしまうところにも、また「身近さ」を感じてしまうのだ。
 
例えば、ビジネスへの関心はあるのかと尋ねてみた。経営者・HIKAKINは、なかなか面白そうだけど……と話を振ってみる。

「うーん。いまは正直興味ないですね。僕はまだまだクリエイターでいたい。ずっと『あの人はすごい』と言われるような存在でいたいんです。ビジネスや投資を勉強したりする時間があるなら、動画のアイデアを練っていたい」
 
そこにあるのは、先頭走者ゆえの孤独である。誰も見ていないものを見続けてきた彼にとってのゴールが、まだ先にあるのか、実はもう見えているのか、あるいはすでにゴールを超えていて、30代で別の道を突き進むことになるのか──。いまはまだ彼自身もわかっていない。ただはっきりしているのは、時代は彼を求め続けているし、彼の背中を追いかける人は後を絶たないということだ。

「『うわっすごい。やられたわー』と思わず言ってしまう新しいユーチューバーがむしろ、出てきてほしいなって思うんです。そう思えたら、僕も次のステージを考えるかもしれないですね」


ひかきん◎1989年生まれ。新潟県出身。高校生のときから、ひとりで動画投稿を始め、『Super Mario Beatbox』をアップすると世界中からアクセスが殺到、一気に注目される。国内チャンネル総登録者数ナンバーワンを誇る日本ユーチューバー界のパイオニアとして、エアロスミスやアリアナ・グランデなどのアーティストと、ビートボックスによる共演も果たした。UUUM ファウンダー、最高顧問。

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文=石戸 諭 写真=アーウィン・ウォン

この記事は 「Forbes JAPAN 真のインフルエンサーとは何だ?」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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