近代の科学と産業の台頭が、人間と動物の関係に次の革命をもたらした。農業革命の間に、人間は動植物を黙らせ、アニミズムの壮大なオペラを人間と神の対話劇に変えた。そして科学革命の間に、人類は神々まで黙らせた。この世界は今や、ワンマン・ショーになった。人類はがらんとした舞台に独りで立ち、独白し、誰とも交渉せず、何の義務も負わされることなしに途方もない力を手に入れた。物理と化学と生物学の無言の法則を解読した人類は、今やそれらを好き勝手に操っている(ホモ・デウス・上・P123)
柴田:ハラリさんが言っているのは、テクノロジーは必ずしも悪ではない、ということです。問題は、そのテクノロジーをどう生かすかなのです。しかし、人間はそれが苦手だと言っているんですね。新しいテクノロジーを発明するのは比較的得意なのに、その使い方が追い付いていないから、破壊の方向に行ってしまうことが大きな問題です。
武田:いままでは、資本主義の“神の見えざる手”が勝手に調整してくれると信じられてきましたが、ハラリさんは、資本主義の神の見えざる手は、「見えないだけではなく盲目」であると批判しています。
柴田:擬人化すれば、何者かが導いていることになるのでしょうけれど、そこには目的があるわけでもなければ、よい方向に行くという筋書きがあるわけでもないのです。
武田:ですから宗教が必要だったのですね。国家と宗教は、その自由な資本の流れと、科学の無邪気なパワーと言うのを、制約して方向付けしたのですから。ところがこれが効かなくなったから、国家も宗教も無効化してしまう。
柴田:人間自体も主役ではなくなって、多くの人が無用者階級になってしまうという未来が予想されます。
武田:しかし、『ホモ・デウス』の下巻まで読むとそうでないことがわかります。
柴田 裕之(しばた・やすし)◎翻訳家。早稲田大学、Earlham College卒。訳書に、ハラリ『サピエンス全史(上下)』 『ホモ・デウス(上下)』のほか 、ドゥ・ヴァール『道徳性の起源』、リドレー『繁栄』(共訳)、オーウェン『生存する意識』、リフキン『限界費用ゼロ社会』 、ファンク『地球を「売り物」にする人たち』 など多数。ハラリの第3作『21 Lessons――21世紀の人類のための21の思考』が11月に刊行予定。