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2019.09.01

世界が認めた川越発クラフトビール誕生秘話

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小規模な醸造所で、職人が手塩にかけてつくるクラフトビール。品質が高く、個性豊かな味わいを楽しめることから世界中の大人を魅了している。国内でも近年、多くのメーカーが参入しているが、日本発クラフトビールの先駆けとなったのは、業界大手ではなくスモール・ジャイアンツ。そのひとつが、埼玉県川越市を本拠地とする協同商事である。


モンドセレクション最高金賞受賞、ヨーロピアン・ビア・スター金賞受賞、ワールド・ビア・カップ・シルバーメダル獲得──2006年のブランドリニューアル以来、Made in Japanのクラフトビールとして確固たる地位を築いてきた「COEDO(コエド)ビール」。世界20カ国で愛飲される銘酒をつくるのは、誰もが知る巨大企業ではない。協同商事のビール事業部「コエドブルワリー」の30人だ。 

もともと有機農業野菜の産直卸売からスタートした同社がビールづくりの研究を始めたのは1980年代後半。当時は四大メーカーだけだったビール業界に、わずか数人で参入しようとしたという。代表取締役社長の朝霧重治は、その理由をこう話す。

「創業社長の先代はベンチャー精神旺盛で、農業を盛り上げたいと考えていました。有機農業の産直卸売は当時、先進的な取り組みでしたが、それだけでは一次産業の枠を超えられない。しかし、良質な素材を加工して丁寧なものづくりをすれば、農業はもっと面白くなる。その答えがビールだったんです」

同社がビールの原料として目をつけたのは、形などの理由で販売できず、収穫量の4割が廃棄されていた規格外品の川越芋だ。94年、酒税法が改正され小規模でのビール製造が可能になると、全国各地で“地ビール”が誕生し、協同商事も96年にサツマイモを使った「小江戸ビール」を発売。翌年には本場ドイツからブラウマイスターを招聘し、5年間かけてビールづくりの職人技を直接学んだ。

観光の土産物として地ビールの人気に火がつくと、一時は生産が追いつかなくなるほど売れた。そこで工場に大規模投資をした。しかし、そのブームは数年で終焉を迎えてしまった。


2016年9月にオープンした東松山市の「COEDOクラフトビール醸造所」。

食品業界は参入障壁が低いが、日本にはビールづくりを学ぶ場がない。多くの業者が知識とノウハウのないままに事業を展開したため、地ビールには「クセが強い」「単なるご当地もの」というイメージがつきまとった。そのうえ価格も高い。結果として、観光客はおろか、地元の住民からも相手にされなくなるケースが続出したのだ。
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文=畠山理仁 写真=岩沢蘭

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