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2019.08.29 11:30

「二酸化炭素に恋をした」19歳の壮大な青写真 #30UNDER30


地球温暖化の解決を目指すのは「寂しい」から

村木が地球温暖化の研究をはじめたきっかけは、小学4年生に遡る。

物理学者スティーヴン・ホーキング博士著「宇宙への秘密の鍵」を読み、物語に登場する火星の美しい描写に心を奪われた。以来、「人類で初めて火星に行き、人が住める環境にする」という夢を抱くようになる。

しかし調べると、火星の大気は気圧が低い上に酸素は少なく、主成分は二酸化炭素だ。ゆえに人が住める環境ではないため、二酸化炭素の回収技術を用い、テラフォーミング(惑星の環境を変化させ、人類の住める星に改造すること)をしなければならないことがわかった。 そうして村木が自身の夢への糸口を掴むために家の庭で行った実験が、後の人生を大きく変えることになった。

「ドライアイスを充満させたペットボトルに庭の雑草を入れました。植物は二酸化炭素を吸収し、光合成によって酸素を吐き出します。けれども、ペットボトルの二酸化炭素濃度は100%。呼吸ができなくなって雑草はおそらく枯れると思いました」

しかし3日経っても、雑草は生き生きとしているどころか酸素を生成していた。その瞬間、植物の生命力に感動するよりも「二酸化炭素はすごい!」と心を大きく動かされた。

「理論ではなく直感で、二酸化炭素の働きに感動しました。そのとき、まるで人を好きになるように二酸化炭素を好きになったんです」

「二酸化炭素に恋をした」村木だったが、10歳のときに図書館の本に書かれていた、冒頭の「地球温暖化は止まらない」事実を知り大きな衝撃を受ける。以来、地球温暖化の解決のために研究を続けている。

猛反対されたとき「うまくいく」と確信する

なぜ地球温暖化という巨大な問題に挑み続けられるのか。村木に聞いた。

「将来、人類で初めて火星に着いた瞬間を想像したんです。僕は英雄のような顔をして、地球の人々から賞賛を受けます。でも、それって寂しくない?と思ったんです。その頃にはきっと温暖化は深刻化して、タイタニック号のように地球は壊滅に向かっている。故郷の地球とそこに住む75億人を犠牲にして、自分だけの夢を叶えるのはあまりにも寂しい。

僕は火星に住むという個人的な夢を叶えつつ、まずは地球を実家のような存在、人類が宇宙規模の進出を果たしてもいつでも戻ってこられる場所として守り続けたいんです。それに、今まで僕は本当に多くの人に支えられてここまで来ることができました。なのに、地球のことを忘れて自分だけ火星で楽しく過ごすなんて嫌です」

中学生になった村木は、地球温暖化の研究を本格的にスタートさせる。しかし、その道は想像以上に険しかった。

「指導教官からは、『その研究の何が面白いんだ? そんなの役に立たないから、今すぐに辞めなさい』と言われ続けました。自分の研究が否定されることはとても悔しかったです」

指導教官は猛反対するだけでなく、研究に必要な薬品の利用を禁じた。さらに、村木は高校生に向けて自らの研究成果を発表する機会を得たのだが、二酸化炭素直接回収技術は理解を得られず、白い目を向けられる。それでも村木は決して屈しなかった。

「地球温暖化を本気で食い止めるには、コストが安く技術も安定している、二酸化炭素直接回収技術が最も適していると信じていました。それに、誰かに否定されたくらいで諦める生半可な気持ちで研究はしていませんでした」
--{何度も「辞めろ」と言われた}--


村木は黙々と、独学で研究をつづけた。そして中学3年生の冬、山梨県・八ヶ岳の真下にある学校の室内で白い息を吐きながら、二酸化炭素の回収実験を成功させたのだ。「それからは誰かが研究を否定してきたら『この研究は成功できるんだ』と、思い込むようにしたんです」と村木は語る。

制作には100万円が必要だった

高校2年生になった頃には、CARS-αを完成させる構想ができた。しかし、制作には100万円という莫大な資金が必要だった。学校生活以外は研究に費やす日々、アルバイトをする時間も取れない。資金難で途方に暮れていたとき、母親からあるプログラムを紹介される。

時代の寵児として注目を集める落合陽一も採択された、総務省の主催する「異能vation プログラム」だ。通称“異能ベーター”として採択されると、支援金を300万円調達できる。

「CARS-αの制作費としては十分でした。でも応募者の多くは、大学の研究者やスタートアップ企業の経営者。経験も知識もない高校生の僕は受からないだろうと、ダメ元で応募したんです」

その夏が終わる頃、応募したことも忘れて祖父の家でスイカを食べていたときに吉報が届く。村木は一次選考を通過した。さらにその後最終選考を勝ち抜き、遂に1000人の応募者の中から、採択者の13名に選ばれたのだ。

無事資金調達を達成し、本格的に研究に打ち込んだ。そして村木が「あの日は忘れもしない」と語る2017年12月5日、窓の外で雪が降りしきるなか、CARS-αは誕生した。

「『こんにちは』とCARS-αが喋った時に、『ついに生まれた!』と本当に、本当に感動しました」

二酸化炭素直接空気回収装置・CARS-αは、取り込んだ空気を水酸化ナトリウムの水溶液に通すことで二酸化炭素を吸収できる機械。さらに村木は、回収した二酸化炭素の可能性を大きく広げるために、その冬、ある実験を行った。 それが、二酸化炭素からメタンを生成する実験だ。

「メタンはあらゆる有機物に変化します。例えば車や船、飛行機の燃料になったり、ペットボトルを作れたり、レジ袋や衣服、理論的には人工肉も作れるんですよ」

地球温暖化の元凶が、夢の気体に変化するかもしれない。しかし二酸化炭素からメタンを生成する研究は、1913年に化学者のポール・サバティエが発表した「サバティエ反応」以降、100年ものあいだ時が止まっていた。この製法で使用する触媒は高価かつ危険であり、複雑なプロセスを経ないと生成できないものだった。

「僕が研究で大切にしていることのひとつは『身近であること』。誰もがメタンを手軽に生成できるにはどうすればいいか考えました」

メタン生成の研究をする広島大学の教授を知った村木は、地元山梨から夜行バスを乗り継ぎ、はるばる大学を訪ねた。しかし簡単にはいかない。研究所で様々なアプローチを試みても、測定器からメタンの反応が出ることはなかった。
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文=田中一成 写真=小田駿一

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