ビジネス

2019.08.19 06:30

20億本のナッツバーを売った男が語った 対立する民族をビジネスでつなぐ方法


法科大学院を修了後、ルベツキーは奨学金を得てイスラエルに渡る。彼は現地で、ずっと考え続けてきた「文化横断的なビジネス」の実現を試みる。しかし早々に行き詰まる。

「アラブ人とイスラエル人がジョイントベンチャーをつくり、共にビジネスをするなんて。この錯乱したユダヤ系メキシコ人の法律家に、その方法を教わろうなんて人は、誰もいなかったんだ」と、ルベツキーは振り返る。

「だからどこにも行き着けなかった」

イスラエルでの日々は、しかし彼に新たな着想を与えた。紆余曲折のさなか、彼はテルアビブの食料品店で、廃業したばかりの地元メーカーが作っていた天日干しトマトのペーストを発見する。調べてみると、オーナーのヨエル・ベネシュは日干しトマトとオリーブオイルをイタリアで、ガラス瓶をポルトガルで買い付け、イスラエルに輸入していた。

「とても非効率だった」と、ルベツキーは言う。

彼はベネシュに連絡を取り、もっと近場の仕入れ先を見つけることで、コストを下げられると話した。そして、ビジネスを通じて平和を実現できるという自説の、これが試金石になるとも気づいていた。

ガラス瓶をエジプトから、天日干しトマトをトルコから、そしてオリーブオイルをパレスチナの農家から買い入れるのだ。

「このサプライチェーンモデルなら、アラブ人とイスラエル人が協働できる」

アラブ人とイスラエル人が作るチョコレート

かくして94年、25歳のルベツキーは法律事務所の短期の仕事で貯めた1万ドルの貯金をはたき、マーケティング・コンサルティング・物流を担う会社「ピースワークス」を設立する。

彼はベネシュのようなメーカー側の相談役となり、より低コストで、かつ、対立するグループ間を繋ぐサプライチェーンを構築した。生産物にはピースワークスのブランドを付け、社会的使命を強調して、米国で販売する。完璧だった。

最初に手がけたのは天日干しトマトのペーストだ。彼はそれをブリーフケースに入れてニューヨークに持ち帰り、売り歩いた。「はじめは瓶はどれも不出来で、オリーブオイルは漏れていた。でもひとつずつ改善を重ねて、数カ月後には十分に売れる商品に仕上がった」

アラブ人とイスラエル人が作ったチョコレート、イスラム教徒とキリスト教徒と仏教徒が作ったインドネシア製ソース、シンハラ人とタミル人が作ったスリランカ製ココナツミルク。これらはピースワークスが米国で売った商品のほんの一例だ。

創業後の4年間に、彼は父親から10万ドルを借りたり、友人たちから10万ドルの出資を募ったりして事業を継続させた。90年代後半に入ると、ピースワークスの収益は100万ドルに到達し、10%の利益率も確保した。

現在、経営は別の人間に任せているが、ルベツキーは今もピースワークスのオーナーだ。「ビジネスとしてはかなり零細だけど、今でも私の赤ん坊だよ」と、彼は言う。
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文=エンジェル・オーユン 翻訳=町田敦夫 編集=杉岡 藍

この記事は 「Forbes JAPAN 社会課題に挑む50の「切り札」」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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