「やはり組織を変えていくには、幹部の感受性、センシティビティーが高くないといけない。Tone at the top(トップが社員に見せる倫理的な姿勢や考え方)ですから。トップからトーンセッティング、カルチャーセッティングをしていかないといけません」
多様な企業のソリューションを担い、パナソニック全体をリードしているパナソニックコネクティッドソリューションズ(CNS)社の樋口泰行社長の言だ。ロジカルな経営者から出た「感受性」のワードが意外だった。
新卒で技術者として入社した松下電器を飛び出し、戦略コンサルに転身、アップルなどを経て、45歳で日本HP社長に。ダイエーで社長、日本マイクロソフトで社長・会長を歴任し、2017年、古巣のパナソニックに戻った。CNS社ではパナソニックのアイデンティティである大阪から東京に本拠地を移し、社長室や役員室は廃止、フリーアドレスでフラットなコミュニケーションができるオフィスにした。ダイバーシティの推進や社員の意識改革など、カルチャー改革に努める。
感受性が低い会社は、世の中の変化に対する感受性も低い
「会社としての感受性の問題は、私がかつて松下電器を辞めた理由でもあります。感受性が低い会社は、世の中の変化に対する感受性も低いんですよね。ダイバーシティについても同じことが言えます。まず経営主体が、打てば響く感受性がないといけないと思います。人間、楽な方向に行ってしまうものです。鈍感でいた方が楽なので。社員から突き上げがないよう押さえつけた方が楽になるんですが、それでは絶対にいけない」
ビジネスや社会に対する感受性、社員の空気感やわずかな変化、成長に対する感受性。社長は見ている、感じている、わかっているという緊張感と信頼感。日系と外資系、ITから小売まで幅広い分野で経営を経験した樋口社長ならではのセオリーだ。
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就任当初は4、5人、団子のようになっての社内会議や取引先企業への訪問が常態化していたという同社。社内のフォーマルなミーティングで座席表まで用意されていたケースもあった。何も発言しない社員もいる。
「みんな忙しくないの? と驚きました。『独り立ちして、自分の頭で考えてやれ』と訴えました」
それから、フォーマルなミーティングをする前に、チャットや立ち話でどんどんすり合わせをし、必要であればミーティングという形をとるようになった。そうなるとフラットなオフィスが活きる。事業部長が平場に座っている。「こんなことを考えているんですけど」と話しかけられる。
今や若手社員も各自でビジネスチャンスを探しに積極的に外へ出るようになった。他社とは若手同士や技術者同士、経理・人事担当者同士など様々なレイヤーで交流会や意見交換会を自主的に行う。
樋口社長はこれを2つの意味で歓迎する。一つは外部との接点を多く持つことで社員の一人ひとりが顧客との接点を持ち、成長の種を探すことができる点。もう一つは社員自身が皮膚感覚として日本の大企業の「ガラパゴス」への危機感を持ち、自らの成長への刺激を受けるという点だ。この2年、「自分の足で情報を集めて、まとめられるようにしよう」と言い続け、社員も成長してきたという。
「個々の従業員が変革のリーダーとしての自覚と資質を備えて環境の変化に向かい合わなければ、個人にも企業にも持続的な成長はもたらされない」。樋口社長は著書でもこのように記している。(『僕が「プロ経営者」になれた理由』、日本経済新聞出版社、2016年)
仕事のスピード感と社員の「ハッピー」は両立できる
パナソニックではCNS社だけでなく、全社の従業員を対象に、「A Better Workstyle」と銘打ち、自発的に育つ環境を整えている。
「社外留職」は社員を1カ月〜1年のスパンで他社に派遣し、留学ならぬ「留職」で新たな刺激と経験が得られる制度だ。また「社内副業」制度も設けた。所属部門に身を置きながら、社内の別のフィールドで仕事を掛け持ちすることができる。部門を超えてのイノベーションの種になるかもしれない。
国内でも、特にミレニアル世代を中心に人材の流動化が急激に進む今だからこそ、樋口社長は企業競争力に直結するものとしてさらなるカルチャー改革を推進する。「スピード感を持って仕事ができる、かつ社員がハッピーに仕事ができる。これはもう両立すべきものなんです」
樋口社長自身アップルに勤務していた頃、「仕事がきつくても、会社に行くのが楽しみ」という経験をしたと著書で振り返っている。「『大変さと楽しさは両立できる』ということを身をもって体験することができた」(『愚直論』、ダイヤモンド社、2005年)
樋口社長のドラスティックな方針に最初は「無理、無理」と言っていた社員たちだが、体感として、コミュニケーションや仕事のスピードが「2倍以上の速度」になったという。結果的に夜遅くまでの残業は減った。無駄な仕事は廃し、本質的な仕事を高速回転でこなしていたら、夕方になるとへとへとになる。密度の濃い、筋肉質な仕事ぶりに変わった。「仕事が楽しい。早く会社に来たい」。そんな社員も出てきた。
取材を通じ、複数の社員が「全く別の会社に生まれ変わったようだ」と口々に語った。産休・育休で1年ぶりに戻った社員は「全く別の会社のようで、腰が抜けそうになった」と話したそうだ。
樋口社長に、「社員に憤りを感じる瞬間はありますか」と尋ねると、このような答えが返ってきた。
「リスペクトに欠ける言動をしたときですね。コンプライアンスに反した言動や、お客様に対し敬意に欠けた対応など、本当に腹が立ちますね」
樋口社長自身、昔から不条理なことに対して憤るタイプだと語る。「例えば『どうしてこの人がこのポジションに』という人事をしていると、組織があらぬ方向に向かっていってしまう。そういう時は思いきって替えると、社員の反応でそれが正解だとわかります。痛みが伴いますが、社員の皮膚感覚に思いを馳せることが大事」
やはり「感受性」を重視していることがわかる。
「自分の市場価値」を意識し、身を置く環境を考えよ
終身雇用、年功序列の崩壊、大企業とはいえ先行き不透明な時代。これからを生きるビジネスパーソンにアドバイスを求めた。
「読者の方、すごく感受性が強い方にはあまり当てはまらないかもしれませんが、やはり大企業を志向する方はあまり『自分の市場価値』を意識しないのではないでしょうか。社内にオプティマイズされた育ち方が続くと、社外の人との親和性もなくなっていく。自分にどれだけのマーケットバリューがあるかをぜひ意識してみてください」
そのうえで自身の経験も踏まえ、このように締めくくった。
「今、多様な経験が大事ですし、一つの会社にずっと留まることがいいことだとは思えない。ミクロで考えると、いい人が辞めちゃうと困るという思いはありますが、日本全体をマクロで考えると、そのことによって人が育つ要素の方が大きいと思う。ぜひ自分の市場価値を意識して身を置く環境を考えてほしい。そして、何かを任された経験があれば必ず成長します。どんどん背伸びして、ストレッチして、オーナーシップを持ってチャレンジしてほしい」
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樋口泰行(ひぐち・やすゆき)◎パナソニック コネクティッドソリューションズ(CNS)社 代表取締役 専務執行役員。1980年、松下電器産業入社。在籍中に米国留学し、1991年、ハーバード大経営大学院卒。1992年、ボストンコンサルティンググループ入社、その後アップルコンピュータ、コンパックコンピュータを経て、2003年、日本ヒューレット・パッカード代表取締役社長に就任。2005年、ダイエー代表取締役社長。2007年、マイクロソフト(現日本マイクロソフト)代表取締役兼COOに就任、翌年同社代表執行役社長兼マイクロソフトコーポレーション副社長。日本マイクロソフト代表執行役会長を経て、2017年4月、パナソニックCNS社社長、パナソニック本体の専務役員に就任。2017年6月から現職。