「社会的であれ」NYのメディア理論家が今、世界に訴えたいこと(後編)

2019年5月、ニューヨークで開かれたカンファレンス「Techonomy」で基調講演をするダグラス・ラシュコフ。

「日本には文明がある。シリコンバレーの価値観には屈しないでもらいたい」

人間関係を阻み行動を操るアルゴリズムに対抗すべく、「Being Social(社会的であれ)」と説く著名メディア理論家、ダグラス・ラシュコフに話を聞いた。(記事前編はこちら


──英誌エコノミストのインタビュー(2019年2月1日付)で、あなたはテック大手の独占などに関し、規制よりもユーザーの意識向上を訴えています。反テック主義者かと思っていましたが。

テクノロジーが人々に害を与えることが嫌なだけで、反テック主義などではない。テクノロジーは素晴らしいが、使われ方が問題だ。最も優秀な技術者らが、(人に有害な)経済運営システムに隷属しているという事実が嫌なのだ。

まず、米国では子供たちにメディアリテラシーを教えない。プログラミングは教えても、それが文化・社会にどう組み込まれていくかを教えないのだ。大手テックの技術者ですら、自分たちがやっていることを理解していない。だが、フェイスブックが中国の検閲技術を、グーグルがロボット兵器を開発していることを技術者が知るやいなや、反発が起こる。これが意識向上の第一歩だ。一方、ユーザーはテクノロジーを使う際、自分の感情を顧みて、使い方や目的を考えるべきだ。

テクノロジーに関する倫理観形成については、各国がそれぞれの伝統や文明、社会の中で独自に構築できる。中国の小学校では孔子の教えが復活した。デジタル時代には、人間性をめぐる種々の考え方が必要になるからだ。欧米ではアリストテレスの授業を復活させるべきだろう。

サイバネティックス(注:生物と機械の通信・制御を統合的に考える学問)を唱えた米数学者ノーバート・ウィーナーは50年代、「市場を見直さないと、コンピュータが人間と競うことになる」とテクノロジーの倫理を唱えたが、一蹴された。

栄養分を分け合う植物のように

──あなたは『Team Human』のなかで、人間は元来「社会的な存在」だと書いています。なぜ今、それが重要なのですか。

大半のデジタルプラットフォームのせいで、人間が「社会的」でいられなくなっているからだ。社会性とラポール(親密な人間関係)が相関関係にあることを、デジタル企業は知っている。社会的であれば、テクノロジーに操られにくくなる。一方、デジタルテクノロジーは人間の絆を阻み、人々が実生活での交流を恐れるように促している。

人は古来、視線などによってラポールを築いてきた。ラポールは団結を生み、団結は人々に力を与える。実生活が多くの「いいね!」で満ちていれば、ソーシャルメディアに何時間も費やし、1つでも多くの「いいね!」を得ようとは思わない。
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インタビュー=肥田美佐子 写真=OGATA

この記事は 「Forbes JAPAN 社会課題に挑む50の「切り札」」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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