現代は時に、寛容さの時代とうたわれている。「多様性・インクルージョン担当副社長」といった地位が現在、多くの企業で採用されていることを考えてみてほしい。
しかし、現実が常にそうとは限らない。
米国では毎年、感謝祭の時期になると、夕食の席での会話をけんかに発展させないためにはどうすればいいか、というアドバイスがネット上にあふれる。また、数千人(あるいは数百万人?)が、ネット上での辛辣(しんらつ)なコメントに耐えられず、ソーシャルメディアをやめると宣言。大学では、敏感な人の気分を害するかもしれない意見を持つ人物による講演を中止する措置が相次いで取られている。
米政治はかつて、少なくとも尊重と合意のかけらがあったが、今では怒りと非難のサイクルを繰り返すことが常になっている。選挙への出馬は、意見の交換というよりもパフォーマンスアートのようになってしまったようだ。
それでも希望はある。私たちは時に、理性の声を見つけることがある。
私が見つけた理性の声は、アーサー・C・ブルックスだ。ブルックスはブリガムヤング大学の卒業式で12分間のスピーチを行った。その内容は、全ての人間関係で礼譲に回帰するよう訴えるもので、私がこれまで聞いた同様の呼び掛けの中で最も明晰で理性的なものだった。
アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)の所長であるブルックスは書籍『Love Your Enemies: How Decent People Can Save America from the Culture of Contempt(敵を愛する 礼儀ある人々は米国を軽蔑の文化から救える)』を執筆している。
ブルックスは人々が互いに相反する意見を持つことをやめるよう提案するのではなく、どのようにすれば異なる意見をよりうまく表明できるのかについて、素晴らしいアドバイスを提供している。これは仕事や職場、公共の場で使えるアドバイスだ。
筆者 研究からは、人は侮辱を受けることで、自分と違う意見にさらに反対するようになることが分かっています。ではなぜ、公の対話の場でこれほど頻繁に侮辱が交わされているのでしょうか?
ブルックス 非生産的であることがこれほど明らかな行為が米国の公の場で大きな役割を果たすようになったのが不可解であることに間違いはないが、他者を侮辱する習慣は2つの非常に明確な要素によって助長されている。