いまの時代は現場で怒鳴ると「ハラスメントだ」と言われてしまう。そのため、みんなが優しい言葉で話しているんですが、そこに何か居心地の悪さを感じるんです。乱暴が良いというわけでは決してないのないのですが、一定の自由度はあって然るべきだと思う。
犯罪をしてはいけないけど、映画の現場、創造する現場は治外法権じゃなきゃいけない。そう思っています。そうした場所で出来上がるものをお客さんは「何だろう、この世界面白そうだな」と思って飛び込んでくるわけです。今はそうした雰囲気が全然ない。
──昔は喧嘩じゃないですが、お互いに言いたいことを言い合って、その結果生まれてくるアイデアがすごく評価されたりしたわけですよね。
小泉:私たちが10代の頃は、映画監督にひどい言葉をたくさん浴びせられましたよね。
豊原:監督だけじゃなく、カメラマンや衣装さんからも言われましたよ。若かったからこそ、余計そう思ったのかもしれないですけど(笑)。
小泉:撮影所はまさに洗礼を受ける場所でしたね。
豊原:いま、私たちはインターネットを使いながら仕事をしていますが、当時はインターネットがなかったので情報が外に出なかった。だからこそ、撮影現場で行われていることが何なのか知りたくなり、みんな覗きたくなったのかなと思います。そういう意味では、いまの時代にも普段とは“違う遊び場”を作った方がいいと思うんですよね。
中間の世代として、上のバトンを下につなぐ
──プロデューサーとして、今後どのようことを思い描いていますか?
豊原:自分が素敵だなと思った人たちがやってきたことを、自分にもできるだろうか。プロデューサーとして、個人的にはただ単純に夢を追っている感覚でもあります。やはり、ディレクターズ・カンパニーはカッコいいなと思っていましたし、伊丹十三さんも気合いを入れて勝負していたなとか。欧米ではクリント・イーストウッドが89歳になっても監督をしながら、『運び屋』では主演も務めている。
モノをつくっている人たちの熱意、本気度、遊び方そのものが大事だと思うんです。根本は映画をつくり、楽しむ。その姿勢を自分たちの手でつくり、提示する。そういう背中、後ろ姿を下の世代たちに見せていきたいですね。
そして、現在制作している『ソワレ』に関しては、監督の持っている着眼点と冷静さ、監督の生きて来た人生から見えるもの、そこに私たちのような年齢、まだ若いですけど、ここまで生きて来て未だ安定とは程遠い、無印不良品という人間の見方がマッチすると面白いものが生まれると思っています。
今回、出演者たちも精神的にロックを宿している人が多く、そういった人たちがどういう優しさを持っているか。そこが映画を通して最終的に見えていけばいいのかな、と思います。やっぱり人間の根底にあるのは優しさ、愛であり、それがあってこそ、怒りや悲しみも生まれてくると思う。それが表現できればいいなと思います。