パブリックスクールでは幸い数学の成績は良かったのですが、英語は伸び悩んでいました。学校では日本の留学生の受け入れは過去に例がなかったこともあり、先生たちが私の状況に配慮し、特別に私に女性の英語の先生をつけてくれたのです。英国の慈悲深さと、教育は誰でも平等に受ける権利があるという「Fairness(平等・公平さ)」の精神を理解したのがその時です。以降、1日の授業が終わった後、寄宿舎に戻る前にその先生に英語を教わりに行くことになりました。
筆者が通っていたKingswood School
多くの日本人に共通していることだと思うのですが、当時の私は積極的に話さない、引っ込み思案なタイプでした。ある日、私の積極的に話そうとしない態度を見かねた先生が「あなたは英語を聞いても理解しているふりをしている。あなたは本当に英語が喋れるようになりたいの? 英語が上手くなりたいなら自分で考えて話す努力をしないと、100年たっても英語は話せるようにはならない!」と、私の弱みを厳しく指摘してくれたのです。
以来、私は目が覚めたように積極的に話すように努め、自分が英語を話した際に何が伝わり、何が伝わらなかったのかを何度も反復して練習し、少しずつ英語で伝える能力が上達していきました。今でも、英語を話す際に上手に説明ができない時や、複数の人前で英語を話す機会があるときはその先生の言葉を思い出すのです。
私のコラムを読んでくださっている方の中にも、英語ができなくて悔しい思いをした方や、英語をしっかり勉強しておけば良かったと後悔している方もいると思います。このような後悔や悔しい思いをしている方は、自ら「気づき」を得たことで、それをばねにして英語を伸ばせる可能性を秘めていますので、今からでも学習を始めることをお勧めします。昔に比べ現在の日本では英語を学習する環境は格段に増えていますし、何事も始めることに遅すぎることはありません。
このように、英国での学校生活1年目の時間は矢のごとく過ぎ、卒業を間近に控えていた頃、常に頭の片隅に心配事がありました。祖父と母が工面してくれた資金が底をつきかけていたのです。
連載:グローバルリーダーの育成法
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