ビジネス

2019.03.22

ジェンダーをテーマにした広告で炎上しないための「3つのC」

Michel Tripepi (Getty Images)


冒頭の「女だから強要される、無視される、減点される」といった文言は、日本社会における女性としての生きづらさや声をもよく代弁している。また、最後の「時代の中心に、男も女もない。わたしは、私に生まれたことを讃えたい。来るべきなのは一人ひとりがうくる『私の時代』だ。わたしは、私。」といったメッセージは性別にかかわらず一人ひとりの個の重要性を謳っており非常にCollaborativeである。

……のはずが、女性の顔にパイが投げ付けられるビジュアルイメージで、そうしたメッセージがすべて帳消しになってしまった。
 
米国でも最近、シェーバーで知られるジレット(Gillette)の広告“The Best Men Can Be”に賛否両論の意見があった。ジェンダー平等や#MeTooキャンペーンを意図した広告は女性に焦点を当てたものがほとんどなのに対し、この広告は男性を主軸に置いた描写が斬新である。


Gillette広告“The Best Men Can Be”
 
従来とは異なる内容であるから賛否両論も覚悟していたとは思うが、何が批判されてしまったのか。
 
CMの内容は、女性が男性のお尻を掴んで笑う古典的なコメディや女性の裸で性的魅力を伝えるCM広告から始まり、今日の#MeTooキャンペーンやセクシャルハラスメントを撲滅する動向を伝え、Say the right things, Act right way (正しい発言をし、正しい振舞いをしようと今求められる男性のあるべき姿を真のMasculinity(=男らしさ) としてメッセージを発信している。
 
メッセージは非常にClearであり、The Best Men Can Be(最高の男性の姿とは)というタイトルと共に、ジレットに愛着と誇りを持つ消費者への期待を表明した内容である。
 
ジレットはP&G社の製品ブランドでもある。P&G社は25年以上にもわたってダイバーシティ&インクルージョンを推進する先進的な企業のひとつとして認知されており、Consistentであることもうかがえる。
 
前述の西武・そごうにも言えることだがCollaborativeの視点が欠けていた。つまり、ジェンダーの平等をテーマにしているにもかかわらず、男性が行動を変えていくシーンの中に、女性の存在や役割が描かれていない。だから結果として自分らしく活き活きとした女性の姿が見られないのだ。

さらにはマーケティングの観点から、男性が消費者の中心の商品であろうと推測するが男性が批判的に描かれていることも要因である。
 
ジェンダー・ダイバーシティを表現する時、男女さらにはそれ以外の性とのCollaborationを忘れてはいけない。
 
仕事柄、多くの女性活躍を主題とした会議に出席してきたが、パネルディスカッションや登壇者もほとんど女性、出席者も大抵7割以上は女性であることが多い。
 
日本でも2014年、内閣府が「輝く女性の活躍を加速する男性リーダーの会」行動宣言を発表した。女性活躍を推進する上で、性別にかかわらず働きやすく働きがいのある職場を目指すにあたり、男性、特に男性経営者がコミットし、自ら旗振り役となる男性チャンピオンの存在は重要だ。言うまでもなく、女性が生きづらい社会は、男性にとっても自分らしく生きやすくはないからだ。
 
この考え方は、LGBT(性的少数者)で議論される「アライ(支援者・盟友)」の役割にも似ている。LGBT当事者は日本の全人口のうち5~8.9%を占めると言われているが、性的指向や性自認にかかわらず誰もが生きやすい社会や職場を実現するためには、約90%の非当事者がアライとして振舞うことが期待されている。LGBTに関する正しい知識・理解を深め、支援姿勢を表明し、その推進に向けて行動する。まさに女性活躍における男性チャンピオンの役割に共通する。
 
社内にも社外にも、ダイバーシティ&インクルージョンに配慮した情報を発信するためにClear(明確性)、Consistent(一貫性)、Collaborative(共感性)の3Cの要素を忘れないでほしい。
 
それでもなお、男性が女性に「頭ぽんぽん」する日本たばこの広告や、トヨタ自動車の公式ツイッターアカウントが『女性ドライバーの皆様へ質問です。やっぱり、クルマの運転って苦手ですか?』とツイートするなど、炎上が絶えない。神経質になり過ぎるのも健康的ではないが、企業はどうしたら良いのか?
 
もし炎上が企業の意図と反しているのであれば、広告を発信する最終意思決定にも多様な人材を登用し、多様な視点を持たせることだ。東京商工リサーチによると上々企業の女性役員比率は3.8%、65.8%の企業には女性役員がいない。もしこれらの広告を出す前に多様な目線で活発な議論がなされていたとしたら、誰かが指摘していたかもしれない。制作陣に女性がいてもいなくても、誰しもが無意識の偏見を持っていることを自覚し、高校を見る多様な当事者の目線を持ち、広い視野を養うことも大切である。
 
私がその中でも好きな広告は女性生理用品Alwaysの"Like A Girl (女の子のように)"である。


さまざまな年代の男女へ「女の子のように走ってみて」「女の子のようにボールを投げて」「女の子のように戦ってみて」とお願いしたときのそれぞれの反応をまとめた動画だ。大人の男性や女性、少年もくねくねと走ったり、ボールを投げるまでもなく落としたり、キャッと悲鳴をあげながら戦ったり……いわゆる「女の子らしい」仕草を見せるがネガティブな印象を受ける。
 
それと対照的なのが、少女に同じお願いをしたときだ。一生懸命走り、全身を使ってボールを投げ、力いっぱい戦う。そして監督は女の子に問うー「あなたにとって女の子らしく走るってどういう意味?」答えは「自分ができる限り早く走ることです」と。その少女の姿を見た大人の女性にもう一度「女の子らしく走ってと言われたらどう走りますか?」と聞くと「胸を張って、自分らしく走ります」と答える。
 
このCM広告は、男性にも女性にも無意識の偏見が存在しいつの間にか「女の子らしく」が女性の自信をなくしたり、かよわくあるべきあると期待されたりしていることにも気づかされる。そして自分らしく生きることをあらためて教えてくれ、行動を変える勇気をくれる。

顧客のニーズが多様化し市場の変化が激しい中、せっかく予算を配分して打ち出す広告戦略は、ぜひ企業の意図するメッセージが明確で、一貫し、誰も傷つくことのない、企業の情熱が伝わるものを願いたい。

文=蓮見勇太

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事