19歳、奇跡が起こる。
──そもそも、映像などのコンテンツに興味を持つようになったのはいつ頃からなんですか?
小中学生くらいのときだったかな。 その頃は家庭でも学校でも色々遊び道具があって、その中で偶然、家にあったカメラとパソコンを手にして遊び始めたのがきっかけです。
16歳の時かな、友達とB’zのパロディをして、YouTubeにアップしたことがありました。当時はインターネット黎明期で、「危険で用心すべきもの」という認知が強かった時期。実名+顔出しでインターネットを使う人はまだほとんどいませんでした。
それでも僕は、顔も名前も隠さずに動画として世の中に出した。そうした方が面白いと思ったからです。すると何十万回再生もされて、良い評価も悪い評価もつきました。
これが初めて、インターネットを通して友人や家族以外のコミュニティとつながった瞬間です。もうすごく興奮しましたね。それにどんどんハマっていき、カメラやパソコンを買って独学で映像を作りまくっていました。
今思うと、その頃から自分は映像をディレクションする側だった。B’zのパロディ動画でも、稲葉さんでも松本さんでもなく、監督の立場でした。今も映像の主体が自分になることはありませんが、その頃から一貫してプロデューサー的な立ち回りをしていました。
──大学時代もずっと映像を?
そうです。京都造形芸術大学の空間デザイン学科に入学したんですけど、ずっと映像やってたなあ……。大学時代からは、ミュージックビデオなども作りはじめましたね。それから、大学2年生の時に合同会社をつくったんです。
──これまた、なんで会社を?
19歳の時に飲料メーカーであるリプトンのCMを監督することになって、その時に「法人じゃないと任せられない」と言われたからです。
ちょうど自分でも会社という仕組みについて知りたいと思っていたので、じゃあ自分で会社を作るのが一番かなと。
──CM制作のお話、詳しく教えてください。大手飲料メーカーのCMを19歳が監督?
これが本当に奇跡みたいな話で(笑)。19才の時、家探しのために東京に行ったときのことでした。池袋でカメラを持って歩いていると、知らないおじさんが話しかけてきて。話をするとどうやらカメラマンだったらしく、とりあえず連絡先を交換したら、2カ月後にその人から「話を聞きたい」と連絡がきました。怪しすぎますよね(笑)。
ファミレスで会って話をし、また2、3カ月後に連絡がきて、その時は音楽会社のビルに連れて行かれました。するとプロデューサーの方が出てきて、いきなり「CM制作やったことある?」って。
──すごいですね……。
それが、エイベックスが主催するイベントで、リプトンが映像として流すCM制作の仕事でした。当時、テレビCMディレクターでは最年少だったらしく、その流れで色々とお仕事を頂いたりしていました。
あの日あの時間に、東京へ家探しに行ってなかったら起こり得なかった。運の良さだけで、経験も実績も未熟な自分が貴重な経験を積むことができました。
「MIYAVIのワールドツアー、行ってくれば?」
──ホットジパングとの出会いは何がきっかけだったんですか?
以前、VAZ(バズ)という会社のプロモーションビデオを制作したことがあったんです。
──この動画、知ってます。ものすごくバズってましたよね。
この動画がきっかけで、次々に色々な方々を紹介してもらい、巡り巡ってホットジパングの忘年会に行くことになったんです。そこで今のボスと出会いました。
「今何やってんの? 売れたいの?」「広告です。売れたいっスね」みたいな話をしていたら、急に「うちくれば?」と。「今度MIYAVIのワールドツアーがあるんだけど、それのドキュメンタリーを任せるから世界一周してくれば?」って言われて。
クレイジーですよね。でもそれって今しかできない、今このチャンスを逃す訳にはいかないと思って、すぐに自分の会社をやめてワールドツアーに入りました。まだ動画は公開されていないですが、本当に最高だったなあ、世界一周。
──ツアー中での印象的なエピソードはありますか?
うーん。そうですね。ありすぎるんだけど、「YP」って名前はその時MIYAVIさんがつけてくれました。
もともと「YMP」として活動していたんですが、より記号的になれて嬉しかった。そこに確かに存在はするが意識されない存在、知らぬ間に人々へ影響を及ぼしているような存在でありたいと思っています。
ディズニーのようなドリームチームになりたい
──先ほど、人の「意識」に対してアプローチできるコンテンツを作りたいとおっしゃっていましたが、それを考えるようになった理由はありますか?
なんでなんだろう。世の中にはいろんな理由や原体験があって活動をしている人が多いのかもしれないけれど、僕はそういうのないんですよね……。「そっちの方がおもしろい、絶対世の中楽しくなる」という感覚に従っています。正解はわかってるし、じゃあやろう、みたいな感じです。いちいち悩まないから、「なぜこういう信念を持っているのか」とかは個人としてはあまり考えたことがなくて。単純に「こうあるべきでしょ」みたいな。一番最初の感情、感覚を大事にしていきたいんです。
──具体的には何をしていく予定ですか?
具体的にはまだ言えませんが、近いのはディズニーですね。ディズニーの世界には、私たちとは異なる空間・時間軸が存在します。ディズニーのコンテンツに触れている時、その時間軸に自分も組み込まれている、つまり仮想の空間・時間軸の中でキャラクターと接している感覚があって。だからこそ、心が動かされるのかなと。
あとはやっぱり、アニメーションという「バーチャル」と、ディズニーランドという「リアル」の両方があるから自分事にしやすいのだと思います。
ディズニーは長い間、世界中の人から愛されています。今後10年くらいでそういったクリエイティブを世に出して、それから、そのコンテンツで世界を豊かな方向へ導いていけるようにしたい。
ディズニーは、長いこと最高のコンテンツメーカーで有り続けてきました。でも、ウォルト・ディズニー・カンパニーが設立されてもうすぐ100年。僕は、次の時代における最高のクリエイティブを本気で作っていきたいと思っています。
YP(ワイピー)◎1994年生まれ。森永乳業リプトンTVCM「夢を追いかける人 編」を当時(20歳)最年少CMディレクターとして手掛ける。監督を務めた株式会社VAZのWEB CM「JAPANESE BUZZ」は公開から3日でSNS上での1000万再生を突破。MIYAVI 7度目のワールドツー“DAY2”にドキュメンタリーディレクターとして帯同。yonigeやあいみょんなど同世代の若手アーティストの映像も手掛けている。