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二分の一成人式は、何のためにやるんだろう?

太古の昔から、世界のどこでもなんらかの儀式がとりおこなわれています。儀式を我々人間が好む理由としては、人類の帰属意識やアイデンティティの確認、死を超えた、共同体としての永続的な何かを生み出すなどの理由があるようです。

成人式は、子供から大人へのターニングポイントを社会全体でお祝いする儀式です。社会から法律的にも、社会的責任的にも「大人」として突然扱われることになる子供への通過儀礼としての自覚を促す役割がある、一生の中でも結婚式やお葬式に並ぶ重要性や社会的意義のあるものと言えます。当事者である20歳を迎える若者だけでなく、子供が自立する門出を祝う保護者にとっても、とても大きなマイルストーンとなるでしょう。

一方で、この20年ほどで急激に普及してきた「二分の一成人式」なるものは、誰のためのもので、どういった社会的、教育的効果があるのでしょうか?

私がこの儀式について知ったのは、息子が4年生を迎えた時です。保護者会で先生から、「今年は二分の一成人式を行いますので、XXXという本を買っておいて下さい」という連絡が入りました。その本は、とある高名な方が、その方の一生を振り返って10歳児に伝えたいことを書かれた方なのですが、どちらかというと大人が子供に読ませたい縦書き本で、現代の子供がすすんで手に取るような本ではありません。

「いったい、二分の一成人式は何のためにやるんだろう?」と、原体験のない筆者にとっては謎が深まるばかり。

二分の一成人式は80年代、節目のお祝いとして兵庫県の教員が始めたと言われており、その後、総合学習の一環として学校教育の場で広がりをみせていきました。

ベネッセが2012年に実施した調査によると、多くの二分の一成人式では、子供の個別発表(将来の夢)や、保護者への感謝の手紙、小さい頃の写真の紹介など、成長の感動を親子で祝いながら、子供に将来への展望を考える機会を与えるというイベントが多いとのこと。実施については約9割の保護者が満足をしているそうです(*1)。

確かに傍から見ると、保護者が子供の発表や感謝の言葉にウルウルするというのは美しいシーンですし、将来について親子で話をするきっかけとなるのかもしれません。しかし、感謝や将来の夢といったものは強制されていきなり考えるようなものなのでしょうか? この同調圧力こそが、学校に通う子供たちのストレスになるのではと心配になります。

我が家の場合、私は国内外の出張も多く、それほど家事が得意だとは言えません。以前の学校で、母の日に感謝の手紙を書くのに、娘が周りの目を気にして苦慮していた様子がうかがえました。

選抜された子供の発表は「いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう」「いつも宿題をみてくれてありがとう」「手作りのバッグが大好き」といった、専業主婦の理想像的な姿を讃える謝辞が多く、お母さんの理想像のベンチマークがされている風にもとられます。

今は母子家庭、父子家庭を含め、家族のあり方も多様化しています。理想像のみを引き上げることで、昭和的な理想の家庭像からずれる家庭の子供たちは、正直に自分の気持ちを書きづらいのかなぁと、発表を聞いてモヤモヤしたものです。

文=竹村詠美

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