意外な告白をするのは、3年連続で過去最高益を達成した島津製作所社長の上田輝久。社長就任まで分析計測事業一筋だった当時の苦労を振り返り、苦笑する。
「納品後に変な現象が起きるわけです。例えば、アメリカの製薬会社が動物の血液で薬物動態の試験を行ったら、流路が詰まって1週間分のデータがパーになったとか」
上田は当時、新製品開発のためにアメリカの東海岸から西海岸を現地のマネジャーと横断していた。クレームに対応するため、社内で対策会議が開かれた。だが誰も動こうとしない。
「これは行かんとわからんやろ」
上田は、マネジャーを連れて、すぐさまシカゴの客先に飛んだ。
「かなり口汚く罵られて、マネジャーは顔面蒼白でした」
相手は15セット納品した機器を、すべて持って帰れと怒っている。ところが上田は平然としていたと言う。怒号の中で、なぜ落ち着いていられたのかと聞くと、彼はこう答えた。
「私は英語がそこまでわからなかったから、わりと平気でね」
3日かけて装置を確認した結果、5セットは置いてもらえることに。
「以降、そのお客様から注文がたくさんくるようになりました」
日本の製薬会社のクレームが発端となり、共同開発を成功させたこともある。上田は当時ビジネスユニット長だったが、クレームを受けて、自ら再現実験を繰り返して改善を続けた。2年後、その製薬会社から依頼を受け、サンプルの注入時間が世界最短のオートサンプラーが誕生した。
島津最古の製品カタログ『理化器械目録表』の末尾には、「御好次第何品ニテモ製造仕候也(お好み次第でどのような品でも製造します)」とある。顧客ニーズにとことん応える、という創業者の神髄は、脈々と受け継がれているということだ。上田はクレームや要望を真っ向から引き受け、それを信頼や新製品という名の宝にした。
「何かあったとき、迅速に親身に対応する。目の前の問題から逃げない。当たり前ですけど、それが危機から脱する最善の方法なんです」