世界をそのまま見ることができない「偏見」とは何か
一方で、世界をそのままの姿で見ることができなくなってしまった状態が、「偏見」です。
それはどういうことかというと、前述の主観によって特定の思考枠との結びつきが強固になり過ぎたために動けなくなった状態のことで、さらにはそれにすら気づくことができなくなっている場合が多いです。
以前ツイートをしましたが、他者に差別的な偏見を持つ人や、事実の把握が正解でない人など、偏見がある人は自分に対しても偏見を持っている人が多いと考えています。
辛い経験をしたから、という過去の出来事が由来となって「人生っていうのはこんなもんだよ」と語る大人も、偏見を持って世界を見ているのと同じで、主観によって過去に焦点をあてた思考枠に捉われてしまい、他の思考枠で世界を見ることができなくなってしまっています。
年齢を重ねるほど過去の時間の方が蓄積していくため、どうしても思考枠に及ぼす過去の影響が大きくなっていきます。
マズローが自己実現の欲求を叶える人の条件の一つとして「認識が絶えず新鮮で様々なことに感動する」ことを挙げていますが、これは偏見の概念と逆で、「認識が絶えず新鮮」というのは「あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容することだ」と考えています。
矛盾は未来差分の素であり、エネルギーを生む
一方で「あらゆる思考枠を受容する」ということは、一見矛盾を生みやすくなります。例えば利己的視点しか持たない人より、利己・利他的視点両方持つ人の方が矛盾を持ちます。
会社経営を行うにあたっては様々な視点が関与するため相反する物事に多く出くわします。しかし、これは悩ましいことではなく、私は「矛盾エネルギー」というのが存在すると考えています。
何かしらの矛盾に思えることがあるということは、これまで述べてきたとおり複数の異なる思考枠を持っているということです。それは例えば過去の視点と未来の視点を両方持っている、とか、利己的視点も利他的視点も持っている、などの証拠であり、それは以前ブログで書いた「未来差分」を作りやすい状態であると思っています。
たとえば例に挙げた「自分の利益と他者の利益が相反する」という矛盾を抱えているのであれば、自分も他者も幸せにしたいという理想を脳内では描いており、そこに辿り着ける可能性は既にあるということです。また、「短期的利益と長期的利益」の矛盾を抱えている時点で、複数の時間軸的視点を持っていい世界を既に描いてるということで、それはその未来に行くべきエネルギーを生み出します。
わかりやすい例では、「自分には何の力もないが世界を変えたい」というのが大きなエネルギーを生み出すのもそうです。
同じように、残酷な現実を直視しながら、世界を純粋にまっすぐ見渡すことは、大きなことを成し遂げるに値する大きな力となります。他人の矛盾を突くことに夢中になったり自分の抱える矛盾に悩んでいる場合ではない、と思います。
様々な「同時矛盾的事象」を経験することで、私たちの身体というのはそれを代謝して未来のエネルギーに変換することができると感じていたので、ブログに書かせていただきました。
私自身も、どんどん蓄積していく過去からの影響の思考枠だけに捉われず、純粋にまっすぐ世界を見渡せる新鮮な人生を進みたいと思っています。
連載 : ゲノム解析の女性起業家が考える、私たちの未来
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