「当時ウォールストリートで働いていた人たちは、決して漫画に出てくるような『悪者』ではなかった(犯罪を目撃したことは一度もなかった)。しかし、彼らは、何年も同じ同僚と働いているような人たちだった。同じ大学を卒業し、同じ学校に子供を入れ、同じ研修プログラムに参加し、同じレストランでディナーを食べ、一緒に昇進し、一緒にバケーションを取り、一緒にテニスをし、一緒にお酒を飲み、一緒に慈善事業のボードメンバーに座る、そういう人たちだった」
彼女は上司である当時のシティ・グループの社長に何度も顧客への補償を提案したが、受け入れられず、結局クビになったという。
そのウォールストリートに端を発した08年の金融危機は地球の津々浦々まで波及したが、中でも最も深刻な被害が起きたのは、人口約33万人(現在は約35万人)の北欧の小国、アイスランドだった。国が経済破綻に陥ったのだ。
「自分の国の通貨がみるみるうちに価値を失っていく。それを見るのは不思議な体験でした」
そう話すのは、アンナ・パウラ・スヴェリスドッティル、34歳。現在はベルギー、ブリュッセルでEUとの交渉にあたるミレニアル世代の外交官だ。金融危機の当時は25歳。法律を学ぶ大学院生で、デンマークのコペンハーゲンに留学中だった。
「海外で生活をする学生にとって、死活問題でした。私たちの国がどこへ向かおうとしているのか、誰がサポートしてくれるのか、全く先が見えませんでした」
当時、アイスランドは高金利で世界から預金を集め、国内金融機関はその資金で金融商品に投資していた。金融危機で証券のほとんどが無価値となり、通貨は暴落。当時のウォールストリート・ジャーナル紙は外貨建て債務が総額750億ドル(約7兆3000億円)に上り、それはアイスランドの国内総生産(GDP)比700%であると報じている。
「他の多くのアイスランド人たちと同様、金融界の人々に、そして、機能しないシステムを作った政治家に怒りを覚えました。問題はただただ大きくて、圧倒されました。しかし同時に、政策と法律はとても重要だと気づきました。悪い政策は大きなダメージとなる。良い政治家が必要で、私たちもそこに積極的に参加しなければならない。眠っているうちに誰かが面倒を見てくれるわけではない。私の、私たちアイスランド人にとっての『ウェイクアップ・コール』でした」(スヴェリスドッティル)
その後すぐに社会民主同盟から議員選挙に立候補し、政権交代で首相となった同党のヨハンナ・シグルザルドッティル率いる連立政権の下で3カ月間、補欠議員として活動している。シグルザルドッティルは同性愛を公表した世界初の女性首相としても知られる。
「政治をやるにはタフな時期でした。批判もされました。しかし、観光に重きを置いた経済政策など、良い政策もありました。私の人生にとって大きな経験でした」
3大銀行の要職には女性がつき、危機を導いた銀行幹部は逮捕。観光業はその後ブームとなり50万人だった年間観光客は17年には200万人に、漁業などの輸出も好調、インフレ率、GDPもほぼ危機前の水準に戻り経済学者のポール・クルーグマンが「奇跡」と表現した経済の復活を見せている。