1. 仕事にクタクタで、心に余裕がないときは。
──帰り道に銭湯へ。
43℃くらいの熱い湯船に、額に汗がにじみ出るまで漬かり、その後水風呂に喉の奥がひんやり冷たさを感じるまで入るというサイクルを、交互に3〜7回繰り返す。
「交代浴」と呼ばれる素晴らしい発明なのだが、どんなに疲労困憊でも1時間銭湯に駆け込むだけで全身が整い、人生はなんて素晴らしいんだろう、世界中の人よ幸せであってくれと願ってしまうくらいの余裕が心に生まれる。
2. せっかくの休日。何かしたいけれどもどうにも体がだるく、何もやる気がでない朝には。
──お昼に向け、スパイスからカレーをつくる。
カルダモン、クローブ、クミンなどのスパイスを油とともに火にかけると、いつもの部屋が途端に異国のバザールのような香りに包まれる。玉ネギとトマトを炒める香ばしい音を耳に入れながら少しずつ体を起こし、出来上がったカレーを口に入れると、発汗作用や代謝活性作用で全身が熱くなる(これは文字通りの薬効)。食べ終わるころには、さあ午後から何しよう?という気持ちになっている(※体験の効果には個人差があります)。
「薬ではなく体験」と言うと唐突に聞こえるかもしれないが、すべての「体験」は、五感(+第六感)で受け止め、心と頭で処理され、さまざまな感情や状態をもたらしてくれるという意味で「薬」と同じだ。少しだけ専門的な話になるが、「薬」とは体内の細胞や分子に化学的に作用することで解熱鎮痛、血圧降下、抗不安などの薬効を示すものだ。
同じように「体験」も、五感や記憶に対して作用することで、ワクワクしたり、哲学的になったり、朝スッキリ起きられたりと、様々な効果をもたらす。時には「アルキメデスの風呂」(浮力の発見。エウレカ!)や、「ニュートンのりんご」(万有引力の発見)のように、一見関係のない「体験」が思考を一気に統合してひらめきをもたらし、世界観を変えてしまうことだってある。
ひとつ提案です。旅や遊びや仕事などで強烈な「体験」をしたときは、自分の思考や気持ちに起きた「変化」を観察・記録してみてはどうでしょう。記録すれば、「こういう気持ちになりたいならこの体験」と処方できるようになるし、それらのデータが蓄積すれば、薬のメカニズムと作用を研究する「薬理学」(薬学の一分野でとても面白いです)ならぬ、「体験薬理学」のような領域をつくっていけるかもしれません。
この「自分」という、思い通りに動かせるようでまったく思い通りにならない、最も身近なようでいつになっても理解不能な不思議な存在を、楽しく自由に動かすために。興味のある方はぜひご一緒にいかがでしょうか。
ただし。薬と同じで体験も、中毒性があったり、遅効性で数年後に効果が出たり、副作用があったりとさまざまなので、くれぐれも乱用にはご注意を。
連載:電通Bチームの「NEW CONCEPT採集」
過去記事はこちら>>
山根有紀也◎電通Bチーム所属。プランナー。自動車会社 新規事業部門に出向中。薬学専攻→電通→事業開発と立場を変えつつも一貫して「人の知覚と認知の仕組み」に興味。趣味は街歩き。