ニューヨークタイムズの書評のタイトルに「クレイジーリッチアジアンズ──罪悪感を伴う喜び、もしくは豪奢なカルト」とあるように、物語の中ではこれでもか、という程のブランドの固有名詞を使いながらリッチな人々の散財っぷりと、スノビッシュな高慢と偏見がユーモアたっぷりに描かれる。
小説の冒頭で「聖書の勉強会を兼ねた昼食会」に参加しているニコラスの母親、エレノアを含むシンガポールのセレブなマダムたちが、ニコラスがガールフレンドを連れてくるらしい、と噂している場面を例に挙げてみよう。
「アメリカ人の女の子を連れてくる? ニッキーに限って、そんな馬鹿なことをするはずないわ。デイジー、あなたの情報はいつもターパーカイ*よ!」(*マレー語で「正確ではない」の意)。
「なんですって? 私の情報はターパーカイじゃないわ。とても信頼できる筋からの話なんだから! いずれにせよ、彼女は中国人と聞いたわ」デイジーは反論した。
「本当? 彼女の名前は? 出身は? デイジー、もし彼女が中国本土出身なんて言ったら私、気絶するわ」と警告するエレノア。
「台湾出身だと聞いたわ」。注意深くデイジーは言う。
「なんてこと! 彼女が“台湾トルネード”じゃないことを願うわ!」ナディーは甲高い声で笑う。
「どういう意味?」エレノアが聞いた。
「あなた、台湾の女たちがどれだけ欲深いか知ってるでしょ? 彼女たちは突然襲いかかって男たちを夢中にさせた後、ヒールで頭を踏んづけて去っていくのよ。立ち去った後は財産をすべて吸い上げられ、1ドル紙幣も残さない。まさに竜巻よ」
また、デザイナーであり、米国のファッション誌でキャリアを築いた作者は、クレイジーリッチな人々の狂騒を風刺するために会話の中で“ブランド名”を多用している。
新婦の友人たちのショッピング合戦では「パーカー、ピエール・アルディのフラットシューズを放さないと、このニコラス・カークウッドのヒールをあんたの目玉に突き刺すわよ」。ウィン・マカオのスイートに満足できない新郎の友人は、「そんな鼠の巣みたいな場所じゃ、僕のトッズが汚れちゃうじゃないか」と言い、「その服にはバリーのモカシンじゃなくてグッチのローファーを合わせなさい」と父親に命令され、弱々しく「どっちのこと?」と聞き返す哀れな息子。
前出のニューヨークタイムズの書評ではこれらの表現に触れて、「この小説の中で最も奇妙に感じることは、なぜアジアの住人たちは、こんなにも自らの容姿や置かれた状況に自信がなく、不安に感じているのか、ということだ」と述べている。
しかし、紛れもなくこの小説の大きな魅力の1つは、この外部からは窺い知れない中国系の人々の間の不安や偏見の滑稽さを外国人旅行者のように目撃できる、ある種の「のぞき見趣味」的なところなのだ。
ちなみに私自身がお気に入りなのは、ニコラスの母親がアメリカの息子に電話する際に格安のプリペイドカード*を使うのだが、そこに作者によって以下のように注釈がつけられている部分だ。
*格安のプリペイドカード…長距離電話に高いお金を払うことをオールドマネーの中国の富豪は嫌う。他にはふわふわの手触りのタオル、ペットボトルの水、ホテル宿泊費、高価なウェスタンスタイルの食事、タクシー、ウェイターにチップを渡すこと、飛行機でエコノミークラス以外に乗ることを徹底的に嫌っている。