英語を学んでほしい思いから、努はオロノを英語イマージョン教育の小中高一貫校に通わせた。とはいえ、殆どの生徒は日本人であり、モーニング娘。やアニメに夢中な一般的な子どもたちだ。3歳からアメリカのオルタナティブバンド「ウィーザー」にはまったオロノが馴染むはずがない。
小学生のときにはアメリカのティーン誌を読み、「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」で知られるジョン・アーヴィングの小説を好み、12歳で映画化された小説「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の原書を3日間で読破するなど、気がつけば英語能力が突出し、父親の影響で「アメリカ文化の申し子」となっていた。
「友だちはいましたけど、心から共感できたかというと、できなかったですね」と、彼女は言う。小学生のとき、同級生の幼い言動に「うざい連中がいる」と不満を言うと、父は娘にこう諭した。
「どうせ一生付き合うわけでもないんだ。絡まなくてもいい。自分の好きにやれよ」
子どもに「つながりたい人とだけつながればいい」という自分の人生観を伝授し、「本を読め」と父は言い続けたのだ。当時、寝るときもヘッドフォンをつけたままの音楽フリークだったオロノが振り返る。
イラストが得意なオロノはアルバムのジャケットデザインも担当
「中学生になると、外国人教師から『オロノは日本を出た方がいいよ』と言われるようになりました。確かに、同級生たちは自分の意思を持たないし、日本人教師は情熱よりルーティーンで仕事をしていて、自分にはそういうライフスタイルはできないなと思っていました」
日本からの思いがけないドロップアウトは、父親がきっかけをつくった。生活にやる気のないオロノを心配した努が、学校の幹部に相談。英語の成績がトップだったので、もっと英語を伸ばすことで解決できないかと提案したら、「そういうサポートはしません」と一蹴された。全員の平均点を上げることが教育だというわけだ。カッとなった努は啖呵を切った。「辞めます!」と。
努はアメリカ中の知人に電話やメールで相談した。そして、メイン州の寄宿学校を紹介されると、校長に必死の交渉をして、オロノを転校させたのだ。
旅立ちの日、二人はペンシルベニア州の知人宅からメイン州まで、シボレーの四駆を借りてハイウェイ95号線を北上した。10時間のロードトリップ。「Welcome to Orono」の看板に立ち寄り、お約束の撮影。そして写真に収まった不機嫌なオロノ。思春期の拗ねた娘と、わが道を邁進する怒りっぽい父も、口喧嘩を続けながら、別れの場面では泣いた。ロードムービーのような一日を境に、オロノは新しい世界に旅立ったのだ。