マネーの目的がマネーの効率だけであるのなら、同じ投下資本でより多くのリターンを稼げて、なるべく早く回収できる方法や案件が「良いプロジェクト」だということになる。
その究極の姿は、今や世界の株式市場の取引の大半を占めるHFT(超高頻度トレード)だろう。ヘッジファンドがコンピューターの計量モデルによる自動取引を駆使して、ミリ秒(1000分の1)とかマイクロ秒(100万分の1)という単位で証券取引所のトレードを出し抜いてさや抜きをしていたりする。
そもそも最初に投資目的に「社会」という言葉が入っていなければ、こうしてマネーはマネーに奉仕するだけのツールになってしまう。投資マネーの流れる方向性は社会目的とは合致しなくなる。
ESGから始まる新たな流れ
遅まきながら、こうした今までのやり方ではやがて行き詰まる、という反省は投資業界からも生まれている。投資マネーの流れをもっと社会ニーズと合致する方向に向かわせることはできないか、という模索も始まった。その大きな動きの一つはESGである。
ESGとはE(環境=Environment)、S(社会=Social)、G(ガバナンス=Governance, 企業統治)の頭文字を取ったもので、対象となる企業の環境や社会、企業統治への取り組みを評価した上で投資しよう、という新しい投資の枠組みだ。
元となった国連のPRI(責任投資原則)には、日本の公的年金はじめ、昨年末で世界の1700社以上の投資機関が署名している。純粋なESGファンドはまだそのごく一部だが、これらの機関の運用資産を単純に合算(注:アセットオーナーと運用代行会社の重複を含む)すれば、7000兆円規模。世界のGDPにも迫る勢いで伸びており、今や世界の投資の主流と言えるまでに拡大している。
ESG評価は、例えば「環境」では二酸化炭素の排出量から水の使用量や廃棄物のリサイクル量、「社会」では就労者の国別出身や女性の管理職割合、「ガバナンス」では社外取締役の人数など、多数の項目で企業の取り組みを採点し、総合的なESG評価を債券のように格付けしたり、指数化してインデックスに組み入れる。数値的な比較が可能となり、社会的・倫理的観点からの投資が以前より飛躍的にやりやすくなった。
もちろん、まだ問題も多い。そもそも「環境に優しい」とか「社会や株主に対する責任感が強い」など、もともと数値化しにくい企業の無形資産をなんとか数値化しようという試みである。一元的に標準化された評価基準もなく、個別の評価機関がバラバラに試行錯誤でやっているから、同じ企業でも機関によってESG評価が異なったりすることも起きる。
ESG「便乗」も多い。世界中の投資マネーがESGに向かい始めたことで、最近では、ちゃっかりESGを売り物にするヘッジファンドも、にわかに増えた。年金や財団など、大きな顧客資産を獲得しようと思えば、ESGが良いアピールになるためだ。いい加減な自己査定だけでESGを売り物にする「口先賛同」のケースも200社以上指摘されており、業を煮やしたPRIが昨年から署名資格を厳格化している。
なんだ、結局ESGに名を借りた偽善じゃないか、という声も上がるだろう。でも投資マネーの合言葉が変わってきたことの意味は大きいと思う。大きなマネーが少しでも社会の目的と合致する方向に流れる方が、そうでないより良い。せっかく新しい動きが始まったのだから、しばらく様子を見守ってはどうかと思う。