今回は、Utopia(理想郷)について(以下、出井伸之氏談)。
技術の進化によりAIが発達すると、2045年あたりに人間の知能を超え、社会や生活が大きく変容するという予測「シンギュラリティ」(技術的特異点)が唱えられて、40年近くが経とうとしている。
2000年に入り未来学者のレイ・カーツワイルは、人間が働かない楽な新しい社会がくるという楽観的な観測をおこなった。エクスポネンシャル的に世の中は発展し変化するという。
AIが人間の知能を超える、その先にある世界はどんなものなのだろうか。現在、その見方は大きく3つに分かれている。
レイ・カーツワイルをはじめとする人々が言っている、人類はユートピアを迎えるという“楽観論”、人類は滅び人類を超える生命体が出てくるというディストピアの“悲観論”、シンギュラリティが来るかどうかわからないのだからどちらでもないという“中立論”だ。
悲観論は、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング、イーロン・マスク、ビル・ゲイツなど、AIの事業に巨額の投資をしている情報技術分野の実業家や学者らが唱えている。しかし、これは非常に矛盾していないだろうか。なぜ彼らは警鐘を鳴らすのだろうか。
このままAIが進歩して人間の持つ能力を超すことになっても私たちは責任持てませんよ、と、自分の立場を保守するためのあえての発言という見方が強いと言われている。ある種の逃げ道でもあり脅かしでもある。
関係する西洋的な思想
その背景には、宗教的なものが色濃くあるようだ。知能という特有な能力をもった人間は神によって創られた、という神からの啓示に基づく信仰によると、人が作り上げたAI(人工知能)が飛躍的な進歩を遂げ機械が人を超越するということは、神の冒瀆に他ならないという解釈になるのだろう。
日本は欧米と宗教的思想がまた異なるので、神の冒瀆という感覚がわかりにくいかもしれない。しかしこれは、日本が得意とする人型ロボットに、同じような嫌悪感を欧米人が抱くこととも似ている。
もしかしたら、今年からヨーロッパで施行されたGDPR(一般データ保護規則)も、そういった宗教的な牽制が関係が関係することも考えられるのではないかと思っている。
実は、悲観論者はヨーロッパ人が多いことも注目すべき点だ。
この楽観論・悲観論は、日本ではあまり議論されていない。ある意味傍観者だ。もしかしたら西洋的な宗教思想が強いということをどこかで悟っているのではないだろうか。
シンギュラリティは本当に来るのか
世の中は、そんなにシンプルで簡単にはいかない。
ムーアの法則にあるように、これから先も指数関数的に進化し続けこのまま有効だと確実に保証することはできない。むしろ、特異点に近づくにつれこれまでの法則の通りにいかなくなっているのではないか。シンギュラリティは、進化が永遠に続くという法則が元になっている。もちろん法則の理論上は、テクノロジーは進化する。
AIの技術は、この数年で指数関数的にさらに進歩する。では50年後100年後はどうなっているのか。それは誰にも想像つかない。
本当に理論上進化し続け、悲観論にあるような社会が訪れるのであれば、人間はそのことを真剣に考え議論していかなければならない。それにしても、悲観論も楽観論もしっくりこない。どうも両極端すぎるのではないかと思ってしまう。