ゲームからコミュニケーションへ
──最近、ツイッターなどでOculus Goを使っている報告をよく目にします。Oculus Goの魅力はどこにあるのでしょうか?
ひとつは、新たな層に刺さったことです。Oculus Goがヒットしたのは、やはり手軽に大迫力の映画鑑賞を楽しめることが大きな要因だと思っています。
つまり、これまでのVRやゲームに惹かれていたギーク層ではなく、大画面で映画を楽しみたい、という広い層の需要を捉えることができた。
その背景には、Oculus Goの手軽さもあります。2万3800円でヘッドマウントディスプレイが手に入る上に、追加の機器を買わなくても本体だけで楽しめる。興味をもった人にはその場でネットフリックスを見せて布教することもできます。
(出典元:VR女子マッハ写真集「H.M.D」)
──手軽さによって、キャズムを超えたというわけですね。
超えそうですね。また、これまでゲームの印象が強かったVRが、Roomsなどでそれ以外の領域にスケールしたのも大きい。近年のVRは「ゲーム」から「コミュニケーション」へとシフトしてきています。
実は、この流れはフェイスブックがOculus社を買収した2014年頃にはすでに構想されていました。当時のイベントでマーク・ザッカーバーグは、「最初は壁画でなされていたコミュニケーションが文字になり、近年は動画になった。次に来るのはVRによる『体験』そのもののシェアだ」と言っている。文字や動画は自分の考えていることや体験を共有するツール。VRはその精度をより高めてくれるはずです。
──体験の共有ですか?
例えば、これまでは好きな映画の感想をラインで送ったり、PVをシェアしたりすることしかできませんでしたが、同じVR空間に友人と集まって映画を再生すれば、「映画を観る」という体験そのものを共有できる。離れた場所にいながら、鑑賞会や応援上映ができるんです。これが普及すれば、逆にリアルの場で集まることの意味も変化するかもしれません。
また、コミュニケーションのあり方が根本から変化していくはずです。PSVRの「バットマン:アーカムVR」というゲームではプレイヤーはそれぞれバットマンの外見になってプレイするというものですが、そこではなぜか普段猫背の人もなぜか背筋がピンとする。
外見がバットマンになっているので、それに合わせて振る舞いもバットマンのようになる。人の内面は外見に多大な影響を受けます。いずれVR空間でのコミュニケーションが当たり前になれば、そこでのコミュニケーションにあわせてアバターを設定するのが普通になるはずです。コミュニケーションに合わせて外面を調整する時代が来るのではないでしょうか。