今回は、Talent(才能)について(以下、出井伸之氏談)。
日本語でタレントというと、芸能人あるいは一芸秀でている人を思い浮かべることが多い。しかし英語でTalentは“才能”という意味だ。全ての人には、持って生まれた何かしらの才能がある。その人の素質であり内在していることが多いため、自分では気付きにくい。でも、だからこそ、人生とは「自分の才能を認識する旅」ではないかと思っている。
モーツァルトのような天才は、幼少期から突出した才能を発揮しているが、多くの場合は自分の内にある素質をどうやって見つけるかが本当に難しいと思う。仮に見つけることができたとしても、その才能が一生を決めるほどのものかを見極める判断は、そう簡単ではではない。
才能を探し続けて
私は小さい時から、興味を持ったものはまずとことんやってみた。中学に入って音楽部バイオリンを習った。演奏はそれほどのものではなかったが、唯一よかったと思えることは、いまや世界的な指揮者で中学の先輩でもある小澤征爾さんが、ピアノを担当しカルテットをつくったことだ。
小澤さんは終生こころの友だ。ソニーの社長になった時には、とても喜んでくれた。
バイオリンは高校の頃まで続けた。そこで耳が鍛えられた。次第に音そのものにとても興味を持ち、オーディオマニアになっていった。よりよい音を追求し過ぎて、スピーカーのボックスを設計し、低音・中音・高音の音を帯域分割するマルチスピーカーシステムを自作するほどの物の入れようだった。
高校と大学では写真部に所属した。動きあるものの瞬間をとらえることが好きだった。早稲田大学3年の時、写真部の部長に推薦されたが「僕は、撮るよりも撮られる方が好きですから」と辞退して退部した。好きだったが、プロの写真家は一生の仕事ではないと思ったからだ。
今でも音楽も写真も大好きで、常に身近な存在だ。昨年の80歳の誕生日には、自分へのプレゼントとして、ソニーのフルサイズミラーレス一眼を購入した。
こうして好きなことにのめり込んでいくうちに、予期しなかった才能に徐々に気づき始めた。小・中学時代はとてもおとなしかったのに、高校、大学とリーダーシップをとる役が回ってきた。いま思い返せば、この頃から少しづつリーダーらしさは発揮できていたのかもしれない。
日本の教育はエスカレーター式で、6・3の義務教育、さらに3・4年と大学へと進学する。「R」でも話したが、一定の物差しで理系か文系に分けてしまうという特徴もあり、戦後つくられたこの仕組みの中で、個人の内なる才能を見出すことはかなり困難だ。
本来、学校というのは、これから生きていくために学問を学びながら自分の中にある才能を認識する場であるべきだと思う。しかし、現実は全くそうではない。とても残念だ。