セクマイ、障がい者、外国人、多様性が活きる組織に必要なこと

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あなたの身の回りに障害のある友達、セクシャルマイノリティの友達はどのくらいいるだろうか。はたまた、障害のある人、国籍や肌の色や宗教が自分とは異なる人と働いた経験がある人はどのくらいいるだろうか?

最近、多くの国や組織が「インクルーシブな社会」「多様性を活かした組織」を掲げるようになった。

当然、差別や排除のない社会の方が良い。そして同質な人で構成された組織より、多様な人がいた方がよりイノベーティブなアイディアが生まれると言われている。

可能か不可能かはさておき、差別のない平和な社会を「理想」として掲げられたとき、その理想に反対する人はおそらくいないだろう。

その一方で、理想の実現に向かって、さまざまなことに取り組んでいる組織や人は何度も壁にぶつかっている。美しい理想像とは裏腹な人間同士の泥臭さの中で絶望感に苛まれた人もいるかもしれない。

私自身、ここ数十年「インクルーシブな社会」を作るためにはどうしたら良いのかを考えながら、研究と実践を繰り返してきた。そのプロセスの中で多くの気づきや学びがあった。このコラムではこれまでの経験の中で得られた気づきについてお伝えしていきたい。

アメリカでの「多様性」との出会い

「多様性」や「インクルージョン」というテーマには、小学校6年生から高校3年生まで過ごしたアメリカで出会った。

大きなきっかけは、障害のあるクラスメートたちとの出会いにある。

小学校5年生まで通っていた、埼玉の小学校では障害のある人と接する機会がなかったが、アメリカの現地校には、同じクラスには車椅子に乗っている男の子、そして隣のクラスには電動車椅子に乗っている脳性マヒの女の子がいた。その子は話すことが困難であり、車椅子にスイッチを乗せて、そのスイッチで「YES」「NO」と反応することでコミュニケーションをとっていた。

加えて、当時のアメリカではADHD(注意欠陥多動症)と診断されることが増えていたこともあり、クラスの2〜3人の子がADHD。そんな状況が当たり前であり、隣の席に座っている子は「オレADHDなんだよね。ちょっと薬のんでくるわ」と言っていたことを今でも覚えている。

最初は少し驚きもあったが、そもそもアメリカの学校文化が日本とは全く異なるため、「アメリカはそういう文化なのか」と思っていた。

それに、当時の私は英語もうまく喋れず、文化もよくわからない。生まれて初めて自分自身が周りの人と異なる「異質」「マイノリティ」な存在であると認識していた。
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文=野口晃菜

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