とにかく新しいプロダクトを作らなければならない。そう思ったマクダーメントは、ファレイロと彼の両腕であるプロダクト・ディレクターのアブラム・ローリー、クリエイティブ・ディレクターの ジェレミー・ベイリーと話し合いの場を設けた。
ベイリーには、なぜFreshBooksから新しいプロダクトが生まれないのか分かっていた。問題なのは、プロダクト開発のプロセス。多くの面でFreshBooksは非常にオープンで先鋭的な会社だったが、少なくともプロダクト開発の面においては、非常に旧来的で、方向性はトップダウンで決められていたのだ。
ベイリーの考えでは、FreshBooksにとって、今最も重要なのは、開発する新プロダクトのどういった機能に「有用性」があるかを見極めることだった。それには、ユーザーにどんな機能を求めているのか、教えてもらうのが手っ取り早い。しかし、どうやってユーザーに訊けばいいのだろう。
この答えを探すうちにベイリーは一冊の本と出合った。『Lean UX ─リーン思考によるユーザエクスペリエンス・デザイン』である。これは、週毎に顧客に対しアイデアとデザインをテストすることを提唱している本だ。「本当に衝撃的だった」と、書籍との出合いを振り返るベイリーは、すぐさまローリーを説得。Lean UXの理論を、社内に持ち込んだのだ。
FreshBooksは新しいバージョンを作るべく、フルタイムでプロトタイプ開発に取り組むスクラムチームを組織。どのチームもLean UXの理論を用いて、数カ月でプロトタイプは完成させた。しかし、再度プロトタイプを完成版にするための所要期間を試算すると、もっとも上手くいって1年半。それでは競合に追いつかれてしまう。遅すぎるのだ。
Lean UXの理論を導入したにもかかわらず、開発に時間がかかる理由。それは、FreshBooksが、市場で商品を試せずにいることにあった。
シリコンバレーにいたファレイロにとって、「Minimum Viable Product(MVP)」のコンセプトに基づいて、市場のユーザーの声を製品開発に役立てるというのは、馴染みの深いやり方だった。
「MVP」とは、アーリーアダプターの関心を引く機能を持つ、最小限の努力と時間で開発可能なプロトタイプのこと。その製品を使って集めたユーザーの意見を基に、仮説検証と改善のサイクルを短期間でまわすことで、市場への迅速な製品提供を実現できるのが、このコンセプトの強みだ。
しかし、FreshBooksではこの手法はご法度であった。
「失敗した時、絶対に損ねてはいけないユーザーからの信頼を損ねることになる」と考えるマクダーメントは、断言する。「一度、ソフトウェアを見放したユーザーは、二度と帰ってこない」
ユーザーからの信頼を損ねずに、なおかつユーザーから製品の改善に結びつく声を聞き出すにはどうすればいいのか。
「オーストラリアか、ドイツで新商品を発表すれば良いのでは」「『FreshBooksLabs』という全く別の物としてリリースしよう。そうすれば、ユーザーも開発段階の製品であるということを判別できる」。
社内外には、さまざまなアドバイスやアイデアがあった。マクダーメントが、そうした次の一手のリスクを検証していたある週末、ふと考えが湧いた。
「単純に、我々と競合する別会社を立ち上げたらどうだろう?」
社運をかけた極秘プロジェクト始動
「あと4カ月半ある。それまでに市場に参入することができれば、君たちに今よりも良い給料を支払うことができる。できないのであれば、僕たちは終わりだ」
マクダーメントのそんな言葉から、FreshBooksではBillSpringという新しいプロジェクトが立ち上がった。そう、冒頭で彼らを恐怖に陥れたライバル製品BillSpringとは、彼ら自身の手で立ち上げたプロジェクトだったのだ。