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キャリア・教育

2018.03.08 20:00

東日本大震災 死傷者ゼロだった「あまちゃん」の町の奇跡

洋野町八木南港の津波被害の名残(2014年当時)

まもなく東日本大震災から丸7年を迎える。警察庁発表では同震災による死者は12都道県で1万5893人におよぶが、その99.5%は震源に近い岩手、宮城、福島の3県で発生している。

しかし、この3県の沿岸自治体の中でただ一つだけ死傷者・行方不明者がゼロという町がある。岩手県沿岸最北端の洋野町(ひろのちょう)だ。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となった、人口1万6000人ほどの小さな町である。

ドラマでは能年玲奈(現・のん)が演じたヒロイン・天野アキの“センパイ”として、実習プールの中から潜水服を着た北三陸高校潜水土木科の種市浩一(福士蒼汰)が登場する。そのシーンは、洋野町にある岩手県立種市高校海洋開発科の実習プールで撮影が行われている。

岩手県の県土整備部によると、洋野町にも6~15メートルの津波が押し寄せ、住宅を含む全壊79棟など、総額65億円超もの被害を受けた。なのになぜ、洋野町では誰一人、命を落とすことがなかったのか。

洋野町を歩き、そこでの話を聞くと、この結果が決して偶然ではなかったことが分かる。

繰り返された津波被害の歴史

洋野町で最も津波被害が大きかった八木地区の高台にある墓地を歩きながら墓碑に目をやると、刻まれた命日には、明治29年(1896年)6月15日、昭和8年(1933年)3月3日の日付がやたらと多いことに気づく。

この「謎」は歴史を紐解けば氷解する。両日付はそれぞれ明治三陸地震、昭和三陸地震による津波が発生した日だ。洋野町では明治三陸津波で254人、昭和三陸津波で214人が犠牲になった。その多くは八木地区での犠牲者だ。墓地から見下ろせる海岸近くには「想へ惨禍の三月三日」と刻まれた昭和三陸津波の慰霊碑もある。

過去にそれほどの被害に遭いながら、東日本大震災当時の八木地区は防潮堤も海岸付近の保安林もなかった。海岸から沿岸部の住宅地との間にJR八戸線が走り、防潮堤建設に十分な土地がないのがその最大の理由である。そして東日本大震災時、津波は容赦なく八木地区に来襲した。

八木地区は行政区上、八木北地区と八木南地区に分かれる。八木北地区に住む蔵徳平さんは地震発生時、八木北港の作業小屋で娘と漁網の手入れ中、下から突き上げるような揺れに襲われた。小屋の目前にある種市南漁業協同組合からは職員が飛び出し、周囲を見回していた。「重要なものをまとめてすぐ逃げろ」と職員に向かって叫んだ蔵さんは一目散に高台にある自宅に戻った。

午後3時半頃、高台の墓地から海の様子をうかがっていた蔵さんは八木北港内の海水が2度にわたって大きく引いていくのを目にする。その直後、八木南地区にある八木南港から黒い煙が上がった。「火事か?」と一瞬を思ったが、それが津波だった。津波は轟音を立てて八木南港からJR八戸線と並走する道路に沿って押し寄せた。
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文=村上和巳

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