妻が出産する時のこと、ちょっとした緊急事態が発生し、一刻を争う状況に陥ってしまった。悲しいかなこんな時、男は無力なもので、気持ちの整理もつかないままあわただしく手術の同意書にサインさせられ、ただオロオロと妻の手を握りしめているしかなかった。
その時である。保育器を押した看護師とともに担当医が手術室に入ってきた。医師は小柄な女性だったが、ぼくをひたと見据えると、力強くこう言ったのだ。
「大変でしたね、でももう大丈夫です。あとは私たちにお任せください」
後にも先にも人から後光が差すのを見たのはこの時だけだ。プロフェッショナルとは何かと考えるたびに、ぼくはこの医師の姿を思い出す。どんなに事態が切迫していようと、決して冷静さを失うことなく、強い意志の力をもって事に当たる。真のプロフェッショナルとはそういう人々のことを言うのだろう。
映画『シン・ゴジラ』にもそんなプロフェショナルの横顔が見える印象的な場面がある。ゴジラを凍結させる「ヤシオリ作戦」を前に、國村準演じる自衛隊の財前正夫統合幕僚長が、長谷川博己演じる主人公の矢口蘭童に向かってこう言うのだ。
「礼はいりません。仕事ですから」
この財前にはモデルがあることをご存知だろうか。東日本大震災の時に統合幕僚長として未曾有の災害と原発事故への対応にあたった折木良一氏である。あの時、折木氏が言ったとされる言葉はこうだ。
「国民の命を守るのがわれわれの仕事ですから、命令があれば全力を尽くします」
『自衛隊元最高幹部が教える経営学では学べない戦略の本質』(KADOKAWA)は、折木氏が自衛隊トップの経験をもとに「戦略とは何か」について語った一冊。書店に行けば「〇〇戦略」と銘打った本が大量に並んでいるが、本書は凡百の戦略本とは一線を画す内容となっている。
どこが違うのか。そもそも自衛隊にとっての戦略は、一般の企業のそれとはまったく違うという。自衛隊の戦略というのは、「絶対に負けない」ために構築されているからだ。それはそうだろう。なにしろ自衛隊が担うのは日本国民の命である。
もちろん一般企業だって「負けない」ために戦略は立てるが、こちらは負けても命を奪われることはない。一方、自衛隊に課せられる任務は命がけのものがほとんどだ。自衛隊ほどプロフェッショナルであることを求められる職場はないだろう。
ではその自衛隊の戦略に特有の要素とはなんだろうか。本書を読んでもっとも意表を突かれたのがこの部分である。折木氏によれば、なんとそれは「休むこと」だというのだ。
東日本大震災のような過酷な現場では、当然のことながら自衛隊の活動は長期化する。ここで大切なことは、いかに隊員を休ませ、戦力を回復するかである。生存者の救出や搬送、遺体の発掘といった任務に、自衛隊は不眠不休であたっていたようなイメージがあるが、実態はそうではなかった。本書では被災地に設けられた「戦力回復センター」の内部も紹介されている。実際はここで温かい食事と睡眠をとり、体力を回復させた隊員たちが入れ替わり立ち替わり任務にあたっていたのである。